朗読   橋をかける 皇后陛下

この朗読は、平成
10920日から24日までインドのニューデリー・アシュカ・ホテルで開催された国際児童図書評議会、第26回世界大会において、本会議初日の21日の朝、ビデオテープによって上演された皇后陛下の基調講演を一部抜粋したものです。

私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年のことです。4学年に進級する頃には戦況が悪くなり、生徒達はそれぞれに縁故を求め、又は学校集団として、田舎に疎開していきました。私の家では父と兄が東京に残り、私は妹と弟と共に、母につれられて海辺に、山に、居住を移し、三度目の疎開先で終戦を迎えました。教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。冊数が少ないので、惜しみ惜しみ読みました。そのような中の一冊に、今、題を覚えていないのですが、子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は、どちらも八世紀に記された二冊の本、「古事記」と「日本書紀」に記されていますから、恐らくはそうした本から、子供向けに再話されたものだったのでしょう。父がどのような気持ちからその本を選んだのか、寡黙な父から、その時も、その後も聞いた事はありません。しかしこれは、今考えると、本当によい贈り物であったと思います。なでなら、それから間もなく戦争が終わり、米軍の占領下に置かれた日本では、教育の方針が大幅に変わり、その後は歴史教育の中から、神話や伝説は全く削除されてしまったからです。

今思うのですが、一国の神話や伝説は、正確な忠実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました。年代の確定出来ない、六世紀以前の一人の皇子の物語です。
と呼ばれるこの皇子は、父、景行天皇の命を受け、遠隔の反乱の地にいては、これを平定して凱旋するのですが、あたかもその皇子の力を恐れているかのように、天皇は新たな任務を命じ、皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き、皇子はこれが最後となる遠征に出かけます。途中、海が荒れ、皇子の船は航路を閉ざされます。この時、付き添っていた弟橘比売は、自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので、皇子はその使命を遂行してほしい、と云い入水し、皇子の船を目的地に向かわせます。この時、弟橘は、美しい別れの歌を歌います。「さねさし小野に燃ゆる火の火中に立ちてひし君はも」このしばらく前、倭建命と弟橘とは、広い枯れ野を通っていた時に、敵のに会って草に火を放たれ、燃える火に追われて逃げまどい、九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は、「あの時、燃えさかる火の中で、私の安否を気遣って下さった君よ」という、危急の折に皇子の示した、優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持ちを歌ったものです。

悲しい「いけにえ」の物語は、それまでも幾つかは知っていました。しかし、この物語の犠牲は、少し違っていました。弟橘の言動には、何と表現したらよいか、倭建命と任務を分かち合うような、どこか意思的なものが感じられ、弟橘の歌は・・・私は今、それが子供向けに現在語に直されていたのか、原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが・・・あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた習慣の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、
不思議な経験であったと思います。


13
歳からの道徳教科書より抜粋

戻る