仏名会 東大寺二月堂

 起源は平安時代の初期、一夜または三夜をわたって、過去・現
在・未来の三千仏の名を唱え、その年の罪悪を懺悔する法要であっ
た。以前は過去・現在・未来と3日間にわたって祈修していたが、
昭和17年以降今年は現在・来年度は未来の仏名を唱えると言うよ
うに3カ年で祈修するということになった。

お身拭い 薬師寺

 この日朝から恒例のモチつきのあと仏さまの魂を抜く法要を営
む。そのあと、朝のモチつきに使用したお湯で中央の薬師如来や、
両脇の日光・月光両菩薩像の螺髪や顔などを丁寧に拭き清められ
る。

春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)

春日大社摂社若宮神社の例祭。平安末期の保延2年(1136)9
月17日、関白藤原忠通が五穀豊穰を祈って始めた祭と言われる。
昔は興福寺の僧兵らの関与が見られたが、明治の神仏分離でこれに
代わり、大和一国の祭礼として祭日も12月17日に改められた。
若宮の神霊を春日参道脇のお旅所に遷し、日中はこれに団参する芸
能・武芸・大名などのお渡りが、また夜半神霊還幸まで神楽・田
楽・舞楽・細男等の奉納芸能が見られる。これらの神事芸能は国の
無形民俗文化財に指定されている。

冬至祭(中風封じ祈祷)

冬至の日は日中の日が一番短くなる日で、正月行事が定着する前に
は、大いなる日の神(太陽)がよみがえる、その出発に当たるとし
て、人々は一年の平安無事を願った。ヨーロッパでは、それがクリ
スマス行事となっている。法要当日は、護摩堂にて護摩祈祷と同時
に中風封じの祈祷が行われる。また、参龍所では、カボチャづくし
の精進弁当の接待も行われるので、弁当希望者は、事前に電話で予
約して下さい。カボチャは江戸時代に伝来し、冬の栄養食品として
重宝されてきた。特に冬至にはカボチャに霊気が宿り、その時のカ
ボチャを食べると、中風を始め、種々の病気にならないと言われて
いる。ご祈祷箸は、冬至祭崇拝記念として参拝者全員に授与され
る。

除夜の鐘

除夜の鐘は、百八の煩悩を拭い去り、清浄心で新年を迎える祈りを
込めて梵鏡を撞く各寺院の行事で、奈良は京都と共に古鐘名鐘の数
多い所である。過ぎた一年の悲喜愛憎の数々も、この除夜の鐘の響
きの中に想いが込められているようである。鐘の音の終わるころ、
神社では歳旦祭が、寺では国家の安泰と万民の幸福を祈る修正会が
始まり、大和の正月はこの鐘の音で明けるのである。

御湯立式(みゆたてしき)瑜伽神社

上代、正邪をさばくため、神に誓って熱湯に手を入れさせたという
盟神探湯(くがたち)に由来する行事。盟神湯の遺風である湯起請
が神楽の形に変わったものとされる。忌釜に、奈良の飛鳥の御井の
水を汲み入れ、瑜伽山の松を焚いて湯を沸かし、御湯巫女が両手に
忌笹を持って掻きさばき、神楽を舞う。その飛び散る湯しぶきを身
に受けると、その年は無病息災で暮らせるといわれる。

修正会(吉祥会[きちじょうえ])薬師寺

奈良時代ただ一つの画像といわれる吉祥天画像を金堂に祭り一山の
僧侶がそろって仏前に集まって行われる悔過法要である。吉祥天は
美しく優しい姿で、人々に幸福を恵む女神としてインドにおいて古
くから敬われていた神。わが国でも奈良時代から信仰する人が多
く、日常使っている吉祥日とか、おみくじの大吉などの吉はこの吉
祥天から発祥したとさえ言われている。

興福寺貫主社参式(こうふくじかんすしゃさんしき) 春日大社

 興福寺の氏神である当社は、古来氏寺興福寺と一体となって活動
してきたが、明治維新により神仏は分離された。古くから行われて
いた1月元旦の興福寺門跡の春日社参始も、神仏分離により一時中
断されたがまもなく復活し、現在は1月2日に行われる。当日緋の
衣を着けた貫主が従僧を従え、社頭中門下に参進。着座して捧幣の
上、唯識論を捧唱し、次いで若宮社前で般若心経をあげる。神仏習
合時代の神前読経がしのばれる珍しい行事である。

神楽始式 春日大社

 千年の昔、延喜21年、宇多法皇春日御幸のみぎり、国司藤原忠
房が奉った和歌「珍しな今日の春日の八乙女を神もうれしとしのば
ざらめや」は、今も当社の神楽歌としてうたわれている。神楽始め
当日は8人の御巫が社頭中門前で神楽を奉奏する。

初戎 率川神社

当社の歴史は古く、約1000年余前の延喜式という書物にも記
されている。祭神の事代主神は、大物主大神(大国主命)の子供で
俗に恵比寿様として親しまれている神。この恵比寿様は奈良で一番
古いとされる福徳成就の神である。

修正会(しゅしょうえ)東大寺

修正会は、古くから諸大寺で行われてきた年の始めの行事平安時代
には、講堂や中門でも元日から7日間行われ夜には舞楽演ぜられた
という。しかし、戦国時代に中絶し、江戸時代になって再興された
が、7月1日だけ、それも午後1時から大仏殿で初夜・後夜の法要
を行うという簡略化されたものになっている。

御祈祷始式 春日大社

 社頭幣殿において宮司以下の神職が中臣祓(なかとみばらえ)を
奉唱して、国家の隆盛と、天皇をはじめ国民の攘災繁栄を祈る行
事。幣殿の西隣の直来殿には春日明神の「鹿島立神影(かしまたち
しんえい)」を掲げ、式後参列者に「中旬の献」と呼ぶ
直会を供する。この料理は白蒸し、小豆粉、ぶりの切身等に濁酒を
添えたもので、春日大社の古式神饌を模した直会の食べ物である。

若草山山焼き 若草山

由来については数々の伝承があるが、一般的には東大寺と興福寺春
日大社の境界争いから宝暦10年(1760)に奈良奉行所が仲裁
にはいり、今後5万日預かるということで解決し、その後毎年山焼
き行事が行われたとされる。このほか、妖怪を鎮めるためとか、勝
手きままに焼くと近くの神社などを類焼するおそれがあるため、一
定の日を決めて山を焼いた、等の説がある。

舞楽始式 春日大社

 成人の日の午後、林檎の庭・直会殿で春日古楽保存会・南都楽所
奉仕による舞楽が奉納される。舞楽は7・8世紀頃大陸各地から伝
来したもの。平安朝に入って芸術的に賞揚されるに至るが、中世に
は衰微し、わずかに京都・四天王寺・南都に伝承されたこれを三方
楽所(さんぽうがくそ)という。特に南都では春日の神事芸能とし
て現在まで保存されている。

光仁会(こうにんえ)大安寺

桓武天皇が文武百官を引き連れて、平安京から南都に赴き、先帝光
仁天王の御忌を当時で行われたという「続日本書紀」の故事因む行
事。午前8時からの法要の後、笹酒の接待が行われる。太い竹筒入
れた酒を青竹の杯で受ける笹酒は癌封じに薬効があると言われてい
る。光仁天王が白壁王時代に、しばしば大安寺境内の浄竹を伐り林
間酒を温め健康を保たれ、62才で皇位につかれたという開運長に
因む。

粥占い(筒粥祭り[つつかゆまつり])登弥神社(とみじんじゃ)

新しい年の五穀や野菜の出来、不出来を、筒粥の神事によって占う
伝統行事。その品目は37種を数え、私たち生活に深いつながりの
ある農作物ばかり。その起源や由来はあきらかではないが、一説に
は奈良朝、或は元禄時代からという説もある。神事の後でいただく
小豆粥は、中風のまじないになるとされ、遠方から参拝する信者も
多い、なおこの行事は、昭和57年3月1日に奈良市の無形民族文
化財に指定された。

万燈籠 春日大社

境内3000に及ぶ燈篭は、800年の昔から今日にいたるまで、
藤原氏をはじめ、広く一般国民から奉納されたもので、昔は油量続
く限り毎晩点灯され、特に雨乞祈願には万燈が行われた事もあっ
た。明治以降油料が途絶え火の消えた寂しさから年に2回、2月節
分と8月14・15両日の夜、全燈籠に火を入れ春日の万燈籠と呼
ばれるようになった。2月の節分と8月14日は舞楽が演じられる

鬼追い式 興福寺

 節分の夜に行われる厄除け招福の行事。午後6時から東金堂の本
尊薬師如来の宝前で有縁の方々の無病息災・延命長寿のための薬師
悔過(星祭り)の法要があり、7時から6匹の鬼を毘沙門天が退治
する鬼追い式。7時30分から東金堂で福豆撒きが行われる。なお
福豆は東金堂前でも授与されている。

節分柴燈護摩会 元興寺(極楽坊)

 節分行事の一つ。本堂に不動明王二躯を遷座して僧侶による供養
法が行われ、後本堂にて山伏が柴燈護摩供を修す。そのあと、護摩
壇木を境内の穴に渡し、又火を起こして火生三昧「火渡り」の行を
する。修験者の法力によって参拝者も年越し厄よけを願ってわたる
ことができる。元興寺「鬼」絵馬が授与される。

お田植え祭り 手向山八幡宮

謡物能楽の形式で行われる古式ゆかしい行事でおんだ祭りとも呼ば
れる。御幣をつけた笹竹を先頭に巫女、牛に扮した牛童、翁の面を
つけた田主神官等の順で境内を一周し、拝殿に登る。拝殿を稲田と
みなし、田主が御幣をあぜにたててお田植えの儀が始まる。田主が
クワで稲代の土を耕し、牛童がスキを引き回し、モミまき等を行う
農耕儀礼である。

初午法要 慈眼寺

 本尊・聖観世音菩薩は聖武天皇御感得の霊仏を刻めるものと伝え
られ、厄よけ観音という名で親しまれている。初午の日、秘仏・聖
観音を特別開扉し、ご祈祷及び大護摩を焚いて、やくよけ観音会式
が行われる。

星供祈願会(ほしくきがんえ)弘仁寺

当時の縁日に因む行事で、参詣者の年齢の星を祭って、日頃の悪事
災難をのがれ、新年の開運を祈願する。邪気を払う予祝行事という
祈祷によって、安じて仕事に精進でき、一家に福運を授かる事がで
きるという。中国から伝わった現世利益の教えに基づく真言法要で
ある。

お田植祭(おんだまつり) 菅原神社

当社の神輿の前で、四隅に青竹を立ててしめ縄をはった仮の神田で
行われる農耕儀礼。田主が田んぼを耕す鍬はじめから、田打ち、田
弁当とすすみ、牛がたんぼを耕し、種子まきとなる。籾(もみ)と
あずきの種子をまくと参拝者はこの種子をひろう。それから田主は
鍬を背にしながらたんぼを見回り苗が大きくなったと喜ぶ行事。