NARA INTERNATIONAL EXCHANGE VOLUNTEERS ASSOCIATION
便り
 Vol.38
発行日 2003年9月1日
発 行 奈良市国際交流ボランティア協会
630-8317 奈良市井上町11番地
TEL 0742-27-5072 ・ FAX 0742-27-5139
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「わらべうた」の似合う街

ならまちわらべうたフェスタ2003実行委員  倍巖 良明

「ならまち」を「わらべうた」の似合うまちに!

 「ならまち」から「わらべうた」を世界に発信しよう!を合言葉にはじまった「ならまちわらべうたフェスタ」は、多くの人々に支えて頂き今年で11回目を迎えます。実行委員会は、まちづくりのグループ、幼稚園・保育園の先生方、大学の研究室、地元商店街、そして行政など24団体にわたります。まさに産官学民上げて、子供たちの為に智慧を絞り、汗を流しています。
 今年のフェスタは10月19日(日)に開催されます。餅飯殿の大宿所、ならまちセンター、音声館を主会場に、この日は実行委員会で練りに練った「遊び」が満載!「ならまち」が子ども達の歓声に包まれます。
 このフェスタのテーマ、「ならまち」から「わらべうた」を世界に発信しよう!は音声館の活動を中心として展開します。「ならまち」を「わらべうた」の似合うまちに!が「まちづくり」としてのフェスタの目的です。ほんの一昔前、子ども達は学校から帰るとランドセルを放り出して外に遊びに出ました。そして夕方暗くなってきて、近所のおじさんやおばさんに「早う帰らなあかんで!」と声をかけられて、家に帰ったものでした。路地裏やお寺や神社の境内が遊び場でした。そして「遊び」の中から人間関係や社会のルールを学びました。ガキ大将を中心に年齢の違うグループ、そして近所の人達、様々なコミュニケーションが生まれていました。それがごく自然の「まち」の風景でした。
 しかし昨今は、子どもたちの生活時間、家族構成、道路事情など様々な環境が変わってきました。それと共にかつて「まち」が持っていたコミュニティーも失われてきました。
 「ならまち」にはかろうじて、まだその雰囲気が残っています。フェスタを通じて「まち」のコミュニティーが再び生まれてくれればと思っています。それが「わらべうた」の似合うまちに他ならないと思います。

(NIEVA理事)

 
Taishu Bunka and Anne Clubs in Japan II

Daniele Allard

 Taishu Bunka, in the past and today, is actually the culture shared by every single Japanese individual. It may even be acting as a social cement, diminishing what gaps there are between the upper and the lower middle class, between the university educated and high school graduates, and perhaps even between male and female. The tea ceremony, flower arranging, sumo, martial arts, baseball and popular singer are shared by millions, regardless of social status and level of education. Kato explains that, before the isolation period, the samurai exchanged poetry with their opponents before fighting and were certainly expected to have literary taste. Following the disarmament of the population proclaimed at the end of sixteenth century, the samurai, who as a consequence became more civilian bureaucrats than fighters, invested highly in institutions of higher education. Because of their leadership position, they also had to be educated in various disciplines so as to maintain a healthy economy. In their leisure time, they indulged in a variety of artistic activities, including the tea ceremony, music and drama. The merchant and farmer class also made efforts to remain highly literate and versed in the art, and the ideal was for a successful merchant to retire early and relish these arts and literature. Merchants were also the patrons of artists, of which many are famous today. As for the farmers, although they had little money, they had to be literate since the responsibility for keeping records of the village fell upon them. They may not have been patrons of artists, but they offered hospitality to artists and traveling men of letters in exchange for artworks or formal leaning. Moreover, education was available to farmers through Buddhist temples.

 Parallel to this development, arts that were sacred became secular. Such was the case for kabuki theatre, sumo wrestling and specific forms of storytelling-forms orginally dedicated to deities. Popular fiction also appeared in the eighteenth century and because of Japan's high literacy rate, there quickly was a "mass audience" to receive it. Historians claim that one of the best-selling authors of the time (Takizawa Bakin) was in fact the first author in the world to earn his living solely through his writing activities. Contemporary Japanese have followed the path of their ancestors. In the Japanese today (1988), Edwin Reischauer states that Japan's population is most likely the best educated in the world, especially in terms of a solid general education. He corroborates information provided by Kato in relation to "mass culture" in Japan, namely with regard to its pervasiveness across classes and to the lack of a "high culture" reserved for an elite. "Culture" of cause has various levels, from mass customs at the bottom to the most sophisticated fine arts at the top, but even these horizontal layers are not very pronounced in Japan.... and surprisingly high levels of artistic appreciation and etiquette reach down to the virtual bottom of society...in a way that is rare elsewhere in the world.

 The existance of Anne clubs in Japan, therefore, needs to be considered within this spacific Japanese cultural context. Anne is an integral element of Japanese Taishu Bunka- as are other Western icons- and Anne clubs are one of the many ways in which this becomes apparent. In trying to understand why Anne clubs exist, we need to consider the specific cultural factors that come into play. Learning English is a priority for many Japanese, as is becoming familiar with the Western lifestyle. The Anne series and other L.M.Montgomery novels provide an important means of access to Western society and, combined with the wide variety of Japanese publications pertaining to Anne's everyday life, the novels inspire many Japanese, women especially, to cross the threshold of this door to the West. Albeit a fictional character, Anne is also often perceived as charismatic and having an endearing personality. She is admired for her optimism, perseverance in the face of hardship, diligence, imagination, and orientation towards family, as well as for the affection she holds for and receives from those around her. In addition, Prince Edword Island and various sites described in the novels are fully accessible today in much of their pristine state, and the Japanese can afford the trip, if only for a short time.

 Most importantly, Japanese society is a group-oriented society. The Japanese carry out activities in groups to a far greater degree than in the West, and clubs of all kinds abound.
 Anne clubs are indeed original, yet they are also part of the fabric of Japanese culture, and the Japanese fascination with Anne, I propose, needs to be understood within that context. It is not possible to have an exact idea of how many such clubs exist, because clubs in general are often local, of a small scale, and not always active in recruiting new members or making themselves widely known. The frequency with which they meet and the level of members' involvement also vary greatly. In addition, there are clubs that temporarily focus on activities related to Anne within a broader range of goals and activities, and this makes precise tabulation of Anne clubs even more difficult.

<36号の続きです>  <元奈良女子大留学生>
(ダニエル・アラード カナダ・ケベック在住)


エッセイ

奈良国立博物館副館長 上田 孝

 最近は、国際紛争、長引く景気低迷など、国内外ともに暗いニュースばかり。元気のない社会風潮の中で、著名な心理学者である河合隼雄文化庁長官が、歴史と文化の蓄積がある関西から元気を発信し、文化の力で日本の社会の活力を取り戻そうという「関西元気文化圏」構想を提唱し、先月、関西の行政、財界、鉄道、マスコミ関係者らが参加して大阪で発起人会が開かれ、ロゴマークも発表されました。
 今後、推進協議会が発足され、6月下旬からは、趣旨に賛同する文化関連事業の参加登録の募集も始まり、文化庁では、11月下旬に国内外の著名な文化人を招き「国際文化フォーラム」(文化版ダボス会議)を京都市などで開催するほか、芸術祭や舞台芸術国際フェスティバルなどを秋頃に関西地域で集中的に開催するそうです。
 関西からの文化発信により、早く日本全国が元気になるといいですね。

事務局便り
 
7月8日〜9日に来寧された、「ジェトロ厚生会」主催の英米教育関係者日本研修一行歓迎パーティ写真です。楽しい場面を見ていただけるでしょうか。
 

(ちょっと長めの一口メモ)桃と鬼の話
 桃と鬼との関係は、古くから中国の思想にみえる。中国では桃に邪気を払う力があり、子孫繁栄をもたらすとも考えられ「聖なる果実」として物語に登場する。この「桃には魔除けの力がある」という思想は、道教の影響を受けたものとされ、2000年以上前の漢代には、夏至の日に桃の木を削った板に呪文を書き、門戸に貼り悪気を防ぐ習わし(「桃印」)が広く行われていた。
 「西遊記」の孫悟空は、天界の桃園で桃を食べて不老不死となり、後漢時代の「風俗通義」には、桃の木の下で兄弟がトラを使い鬼を退治したとの記述がある。
 日本でも、古事記(712年)に黄泉の国のイザナミ命のもとへと降りていったイザナギ命は、イザナミ配下の悪霊たちに追われ、黄泉の出口近くで追付かれそうになり桃の実を投げて悪霊たちを退散させた。
 また、延喜式には鬼を払う追儺の時に、桃の木で作った弓を用いたといい、桃の木で作った弓と棘のある木で作った弓を組み合わせることで鬼退治ができると信じられ、3月3日の雛祭りの節句に供える桃や柊の葉も、そうした邪気払いから出たようだ。
 この鬼が出てくる方角が(表)鬼門で、そのため丑寅(北東)は不吉な方角として建物などを建ててはいけないとされ、またその対面の未申(南西)の方角は裏鬼門と呼ぶ。その鬼門には、古来より『桃の木』を植えてその災厄を払っていた。
 平安京では、鬼門に当たる比叡山に災いを鎮めるための延暦寺が建てられ、裏鬼門には東寺が建てられた。鎌倉幕府は鬼門に五大堂を建て、江戸幕府もこの例に習って上野に東叡山寛永寺を建て鬼門の守りとした。
 桃太郎の話は、こうした鬼と桃の関係を表しているという。
 桃という鬼を退治することができる名前を持った青年が、猿・鳥・犬を引き連れて鬼退治に行く話は、鬼門(丑・寅)に居る牛<丑>の角を持ち、虎<寅>の褌をはいた鬼を、裏鬼門(未・申)にいる猿・鳥・犬<申・酉・戌>を連れて退治に行く話である。

【物語】
 吉備の国に、温羅と言う恐ろしい鬼が住んでいて、西国から都へ通う船を襲っては人を殺め、財宝を奪うなど、数々の悪事をはたらいては人々を苦しめていた。
 大和の朝廷ではこれをいたく憂い、彦五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)<田原本町黒田廬戸宮在住の第七代孝霊天皇の皇子>に吉備の国に鬼退治に行くように命じ、彦五十狭芹彦命は、弟の若日子建命と、お伴の犬養部・猿養部・鳥養部を連れ、難波の港より船出した。途中、針間(播磨)に立ち寄り、吉備の国、妹尾明神岬についた。そこで皆は佐多八という漁師に迎えられ、トウキビで造ったダンゴを食べて英気を養った。やがて佐多八の道案内で鬼退治に出かけた。激しい戦いの末、ついに鬼たちを降参させた。人々はたいそう喜び、その功を讃え、彦五十狭芹彦命を吉備津神社の祭神として祀ることにした。

「吉備津宮縁起」より

(蛇足)岡山県は、もと吉備<キビ>の国と呼ばれ、県の名産は「白桃ときび団子」である。

Home Stay記

§ 昨年NIEVAに入会し、この度初めてホストファミリーをさせて頂きました。
 私がNIEVAに入会した動機は、外国の方と是非交流したかったことと、英会話力をアップしたかったからです。しかし、仕事上休日が、日・祝日だけのため、色々事務局の方からは、折り紙教室、英会話サロン等のお誘いを頂いていたのですが、参加できずにいました。しかし、今回1日だけのホームステイとのことで仕事を休みにして是非やってみようと思い、事務局の方に参加の希望をお伝えしたのでした。ところが、いざ昔の英会話教材を聞いた所、なんと英語をほとんとに聞き取れないし話せない自分がそこにいたことに気が付きました。その後、日常英会話を頑張って学習しましたが、なかなか上達しないものです。英語で独り言をぶつぶつ言っている私をみて、家族の者もおかしく思っていたようです。そしていよいよ当日、その日宿泊されるダンさんとジュディさんご夫妻とお会いしました。英語をうまく話そうと本当に緊張しっぱなしで、そんな私を察したのか非常にやさしい英語でゆっくり話して頂きすごく助かりました。その後、平城旧跡を案内し、…と言っても当然平城京の歴史を英語で案内できませんので、知り合いの方から紹介して頂いたガイドの方に案内して頂き…それが終わってから、三条通りに行き買い物をしたり、突然ジュディさんが、パチンコをしたいと言われ、近くのパチンコ店に行き、打ち方等を指導させて頂いたりと、楽しく過ごしました。また、自宅に着いてからは食事の席で大リーグと日本の野球との違い等のお話をして盛り上がりました。一泊という短い時間でしたが、こんなに外国の方と打ち解けたことは初めてで、非常に有意義な時間を持つことができました。このような貴重な経験をさせて頂いた事務局の方には大変感謝しております。今後も、機会がありましたら是非またお手伝いさせて頂きたく思いますので宜しくお願い致します。

(大倉 克之)



§ いつもお世話になり有難うございます。初めて、home stay の受け入れを経験させていただいてから、早くも4年になろうとしております。が、未だに英語には自信が持てず対面のときには、期待よりも不安の方が大きくいつも逃げ出したい気持ちになってしまいます。でも、縁あって我が家にこられた外国の方々から楽しい時間を共有するには、結局言葉だけではないということ、そして受け入れがこんなにも楽しいということをいつも教えていただいております。今回は、たった一泊の短いものでしたがこれまで同様心に残る素晴らしい時を過ごさせていただけた事に心から感謝申し上げたい気持ちです。今後とも宜しくお願いいたします。

(川村 敬子)



§ 短い時間でしたがとっても楽しい時間がもてたと思います。ホームステイをする方は家族構成も既に承知しておられましたので、迎える側はせめて日本滞在期間中のスケジュールだけでも知っていると、もっと有効的な時間がもてたのではないかと思いました。でもスタッフの皆さんのお気遣いにはいつも頭が下がります。有り難うございました。

(畑山 充子)


「ジェトロ厚生会」主催による英米教育関係者日本研修一行のホームステイをして頂いた方々からメールを頂きました。その一部を紹介させて頂きました。

《 英 会 話 サ ロ ン 》

(第1金曜日)

日 時 9月 5日(金) 2:00〜4:00P.M.
講 師アニコ(ハンガリー)
(奈良教育大学留学生)
日 時10月 3日(金) 2:00〜4:00P.M.
日 時11月 7日(金) 2:00〜4:00P.M.
場 所NIEVA事務局

《 折ってひろげてペーパークラフト 》

 ひと味ふた味み味も違う折り紙アート。
 留学生を交え、楽しく英語のお喋りや、子どもさんも折り紙を通しての国際交流。NIEVAの折り紙教室に是非ご参加ください。

(第4土曜日)

日 時 9月27日(土)2:00〜4:00P.M.
からくり「ずぼんぼ」
場 所NIEVA事務局
日 時10月19日(日)A.M.10:00〜4:00P.M.
「わらべうたフェスタ参加」
場 所大宿所(もちいどの通り)
日 時11月22日(土)2:00〜4:00P.M.
場 所NIEVA事務局
※各教室・サロンとも申し込みをお願いします。

参加費は、会員 500円・一般 1,000円・留学生 無料

《 英 会 話 サ ロ ン (6月6日)リポート その1 》

 6月6日(金)のサロンは、奈良県企画部国際課よりジェイソン・ピケンズさんを講師にお迎え致しました。オーストラリアのマードック大学で日本語及びマーケティングを学ばれ、現在は奈良の国際交流活動振興の為に様々な企画をコーディネイトされています。
 初めて日本に興味を持たれたのは小学生の時、たまたま日本語クラスを選択することになったのがきっかけでした。13歳のときに神奈川で3週間ホームステイ、高校生の時には静岡に1年、また大学生の時には姫路で交換留学生として学ばれました。
 オーストラリア西部、パース出身のジェイソンさんには勿論ホームタウンの魅力も色々と語って頂きました。大自然の織り成す造形美や、ユニークな動物達はもとより珍しい野生種の花々の宝庫としても有名で、9月から10月はベストシーズンだそうです。
 日本語も流暢に話されるジェイソンさんですが、各国の言語はその国の文化や感じ方を表現するのに不可欠なものなので、他国を真に理解する為にも外国語の学習は意義のあることだと伺いました。
 すっかり日本に馴染まれ、日本の女性とご縁を結ばれたジェイソンさん、新婚早々のハッピースマイルがとても印象的でした。

(須藤 記)

《 英 会 話 サ ロ ン (7月4日)リポート その2 》

 7月4日(金)は、来日間もない頃にこのサロンに来て下さいましたイザベラ・ブルジンスカさんを、再度講師にお迎え致しました。
 前回は、ポーランドの生活・文化・歴史についてお話頂きましたが、あれから早3年が過ぎポーランドは今EU加盟を控え混乱期にあるそうです。
 今回はポーランドの各都市の産業や工業・食事・言語・民族衣装等絵葉書や写真、大きな地図を見せて頂きながら詳しく話して下さいました。ご存知の通り首都はワルシャワですが、ウジー(コットン、リンネ)、グタニスク(造船)、アリア(石炭)、クラコフ(初代首都)、ヴォツワベッグ(彼女の出身地)その他私たちがあまり聞いた事のないブロッツアー、ボズナー、グネエズノーといった都市についても話して下さいました。一日4回の食事やクリスマスのホリデーサパーについては、家族揃ってご馳走を頂く様子、またイースターの玉子飾りなど興味深いものでした。
 日本同様、夫々の都市に方言があり、時代と共に使われなくなってきていて、此れを保存するため最近特別に作られた各都市の方言集が学校で使用されているそうです。また民族衣装(Polish Folklore)も多様に亘り、夫々に手の込んだ刺繍が色鮮やかにほどこされています。食事の話の中で主食のポテトに変わるカシャと言う穀物について話して下さいましたがどうも日本のアワやヒエの様な物ではないかと思われます。
 ポーランドはまだまだ発展途上にあり日本との格差は大きいと話されました。因みに平均的サラリーマンの月給料は800ズローチ(200ドル)日本円で25,000円位になるのでしょうか。
 化学者を目指して日夜研究に励んでおられるイザベラさんはポーランドの未来に大きく貢献されることと思います。長時間有難う御座いました。

<奈良女子大学在学中> (矢追 記)


奈良・キャンベラ姉妹都市提携10周年

奈良市国際交流室長 窪田節三



 奈良市が、オーストラリアの首都キャンベラと姉妹都市提携をして、本年10月26日で10周年を迎え、それを記念してさまざまな事業を計画しています。

 まず、9月24日から26日まで、奈良市庁舎1階玄関ホールで、キャンベラの写真家による風景や人物写真並びにキャンベラ交換教諭として奈良に滞在した女性の視点でとらえた奈良の写真を展示します。また、9月25日から、キャンベラ高校生選抜吹奏楽団50数名が来寧し、28日(日)午後2時から市立一条高校講堂で同校吹奏楽部とのジョイントで記念コンサートを開催します。入場無料ですので直接会場へお越しください。

 11月には、奈良市長を団長とする「奈良市民友好の翼訪豪団」約80名をキャンベラへ派遣します。豪外相主催による国会議事堂内での歓迎レセプション。市民による歓迎行事・友好マラソン&ウォーキング・市内見学・駐豪日本国大使館訪問・戦時日本人捕虜収容所のあったカウラ日本人墓地訪問などを予定しています。期間は11月10日(月)から16日(日)までで、参加費は27万円です。市民の皆様には、キャンベラに触れ、キャンベラ市民と交流し、相互理解を深める機会であると存じます。

 詳しくは、国際交流室へお問い合わせください。

 

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