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阪神大震災の記憶

平成7年1月17日。阪神大震災が発生して住宅に対する考え方が少なからず変わりました。私は応急危険度判定士として震災現場に入り建物調査をしているうちに多くの仮設住宅や復興住宅を見ました。

そこはさながら実験住宅の展示場とも云え、ありとあらゆる工法、材料が使われていました。RC基礎の代わりに鉄骨梁を地中梁に使った家、ボイド管を並べて壁にした家、エコンハウスに内装を施した家、コールマンのテント。合法、非合法を問わず考えられる限りの方法で建物を建てていました。

一般の建替えと違い全く予期していなかった建替えですから予算というものがありません。たとえ裕福な人でも生活基盤そのものが崩壊しているため住宅の建設費は極力抑えたものにならざるを得ません。施工者サイドから見ても建材は高騰しているし生コンプラントは潰れているし(まとも)な家を建てたくても出来ない状態が随分続きました。

ここで云う(まとも)な家とはどんな家でしょう。

被災者の復興住宅に対する要望は切実なものがありました。
しかし難しい事は何も要求されません。家としての基本に忠実な要望ばかりでした揺れない家、静かな家、暖かい涼しい家、明るい家etc・・・そこには豪華なとか立派なと言う形容は見あたりませんでした。造る側から見る(まとも)な家とは立派な家を建てて次期顧客の購買意欲を誘い自己満足ができ、且つメンテナンスが容易な建物と云うことになるのでしょうか。
復興住宅には常に施主と施工者の間にこの様なギャップが存在しました。

予算が無いため当然高い材料は使えません。直接原価が安いため間接経費も下がります。しかし、延べ坪数が一般住宅と比べ少ないものだから坪単価は割高になりそれをしっかり施主に説明出来なければ不信感だけが残ってしまう。

復興住宅は施工者にとってあまり魅力のある仕事とは云えませんでした。

ローコストハウスの模索

復興住宅を設計した経験を生かしてローコストハウスを造れないだろうか出来れば坪20万円程度で…坪20万ならば30坪の家を建てて600万円。高級乗用車並の値段で家が建てられたら購買意欲を刺激するに違いない。

復興住宅だけでなく一般の結婚前の若年層にも支持を得られそうだ。また将来が不透明なこの次期でも600万円程度の借金ならなんとか出来る。10年返済のローンを組んでも3%なら月々5万7千円程度。返済総額も695万程度。月々返済が5万7千円ならば高収入を得る必要が無い。高収入が目的で大都市圏にしがみつき高い家賃に喘ぐ必要が無くなり田舎に戻って人間らしい自分自身の時間を
大切に出来る生活が可能になる。


高収入を得る必要が無くなれば高学歴を崇拝する必要も無くなり塾や予備校へ払う費用も必要なくなる。大学は純粋に勉強・研究の場として本来の機能を回復する。

ローコストハウスは人々へマイホームの希望を与え、大都市への人口集中を阻止し、地方都市に活力を与え、学歴偏重の社会を正常化し、勤労者の余暇を創出する画期的は政治政策になる可能性を秘めている。

そんな素晴らしいローコストハウスが出来ないものだろうか?昭和50年代前半に官民共同でローコストハウスに挑戦したことがあります。「ハウス55計画」と呼ばれ昭和55年までに建設費550万円の住宅を提案し国民の生活水準の向上を計ろうとしたものでした。
大手住宅メーカー各社が参加しセラミック外壁の開発や室内建具のユニット化、住宅用ユニットバスの開発等今日恩恵に預かる成果は計り知れません。

しかし、国民は550万円で希望する住宅を未だ手に入れていません。ハウス55計画によって造り出された家が全国を席巻し空前の大ヒット商品になったという話を遂に聞きませんでした。
日本の優秀は技術力をもってしても国民すべての支持を得るようなローコストハウスは完成しなかったのです。

時代は「人並み」のレベルからバブル時代の「人よりも」の時期を通過し「本当の自分らしさ」を探究する時代になっています。
大量生産によって造り出された規格通りの家では「自分らしさ」を演出できません。

大多数に支持を得るローコストハウスは失敗します(価格が下がらない)造る側の論理を展開して積み上げた550万円と云う価格設定ならば今も今後も支持を得られません。
復興住宅を原点にもう一度顧客のニーズを洗い直し建築主がその家に何を求めているか何を無駄と感じているのかを見極め無ければローコストハウスは成功しません。


住む側の論理で予算を組み上げねばローコストハウスは
「ハウス55」の二の舞になりかねません。

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