第1回

◆ローコストハウス

前回までの特集で600万で家を建てる可能性やヒントを考えて
きました。結論めいた事も書きましたが、依頼する建築主の個
性と請負う設計者の組み合わせ分の結論が有るように思います。

また最近 「タイトルにしていた600万と云う数字にこだわらず、
自分達の思い通りの家を建てて、それが相場より安ければ、
それも立派なローコストハウスでは?」との意見を購読者から頂
き600万の文字をタイトルから外す決断を致しました。

ローコストハウスに対する考えは変わりませんが、金額にこだわ
らず、より実践的に考察して行きたいと考えています。

●高気密・高断熱をローコストで考える


現状認識

日本人が住宅の断熱に感心を持ち始めたのは、最近の事である。
昭和47年に起こったオイルショック以前は殆ど感心が無かった。
寒さの厳しい地域は別として、建築家は冬の寒さより夏の暑さを
どう対処するか、それを教えられ、又実践してきた。
随分乱暴ではあるが、寒いのは服を着れば済む。暑いのは脱ぐ
にも限界がある。みたいな教訓を、恩師や先輩から冗談めかしに
教えられてきた。
軒先の張り出しが大きく、通風を考えて窓を配置し、床下を高く上
げる。又落葉樹を南側に配置し冬は日差しを、夏は木陰を演出する。
と云った事ばかりに気を遣っていた。日本の代表建築様式である
数寄屋造りは、まさに夏向きの造りである。深い軒の出、パノラマに
なる開口部、高い床、夏のことしか考えていない構造である。

昭和40年代日本は高度成長期を迎えた。3C時代の到来である。
庶民の夢は30年代の三種の神器(洗濯機・テレビ・冷蔵庫)から
3C(Car・Color Telvision・Cooler)へ移った。40才代の人は我家
に、これら工業製品が入ってきた日の事を鮮明に覚えておられる
だろう。今の様に全室とはいかないまでも家族が集まる部屋には
クーラーがついた。日本の夏が様変わりした。
大阪で日本万国博覧会が開催された頃日本は絶頂期を迎えた。
バブル景気とは質が全然違う、製造業が基幹産業であった、地に
足をしっかりとつけた時代だった。(今はその頃の遺産を無為に食
いつぶしている様な気がする)
日本列島改造論がもてはやされ、セントラルヒーティングが次世代
の夢と思えだした頃、狂乱物価が庶民を苦しめ出し、全世界を震撼
させたオイルショックが発生した。イラン革命が起こった。
原油が急騰し、もう高度成長期の様に、じゃぶじゃぶと石油を使う
事が出来ない。
この頃から、日本人の心に省エネに対する関心が芽生え始めた。
官民一体で省エネと取り組み、省エネルックとかの副産物も生ま
れた。住宅金融公庫は断熱化工事を施した家に、割増し融資を
してくれた。外壁・屋根裏で50mmのグラスウールを充填するだ
けの本当に可愛らしい断熱化工事jだった。

しかし乍ら、暖房時における断熱化工事の恩恵は絶大なものが
あった。1999年建築知識3月号に年平均の暖房負荷、冷房負
荷のデーターが表されている。大阪を例にあげると、50mmの
グラスウールを入れるだけで、200(Mcal/m2年)必要だった暖房
負荷が100(Mcal/m2年)を切るところまで下がっている。
灯油代が丁度で半分になる事を意味している。
冷房負荷は無断熱が70(Mcal/m2年)強であるのに対し、60
(Mcal/m2年)とあまり変わらない。断熱化工事をしても冷房では
そんなに恩恵を被れない。この事は日本の断熱化工事は北国
から発達した事実を裏付けている。

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