流れ者(出会い) 

我が家は、転勤族である

岡田 節子

今まで移り住んできたところを書き出してみた

結婚して31年、その間に7回引越しをしている。


その@  大阪府寝屋川市  5

第1子が生まれる。

1歳半の時に病気になり17ヶ月で、短い命を終える。

この時、お隣の私の母ぐらいの、おばさんに、母の代わりだと言って、病院まで私に、食事を運んでくれた。とても世話になる。

おばさんに感謝

 

そのA  兵庫県姫路市  2

 

 

第2子で1人目の娘が出来る。

亡くなった子供の生まれ変わりだと思い、過保護になってしまい、反省している。

身体が弱く、姫路での思い出は、病院通いばかり。

主人の病気、子供の病気、毎日、毎日家と病院との往復の2年間。

病院の先生と看護婦さんに感謝

その3  奈良県奈良市  パート1  3年

 

第3子で二人目、男の子が出来る。

この奈良で知り合った、人々といまだに親しくさせてもらっている。

もう、お友達として25年になる。

家のこと、子供のこと、主人のこと、色々話を聞いてくれる。

25年の間、私が移動しているにもかかわらず、ずーと、付き合いは変わっていない。

友達二人に感謝


 

その4  奈良県奈良市  パート2  5年

 

 

 

同じ奈良市で、家を買う。家が変わっても、奈良の友達が遊びに来てくれる。

上の子は、小学校5年生まで、下の子は、小学校1年生まで、5年間、この家にいる。

家を買って、住んだのは、この5年だけ!!。

 

その5  神奈川県相模原市  5年

始めての、関東です。

小学校5年生と1年生。

1年生の息子は、1週間で、関東弁をしゃべり、私と娘は、関西弁だと言うことで、

小学校の先生から、「変な言葉ですね!」と言われたことが今でも心に残っている。

息子は、野球と出会い、

娘は、公立の小学校で、いじめられ。中高一貫教育の学校に進学した。

良い先生とも出会い、子供二人は、多感期を無事に乗り切った。

近所の人達も、地方からの人達で、昔ながらの近所付き合いが有って、とても思い出の多い、関東の生活になった。

近所の人々に感謝

 

 

 

そのE  岡山県岡山市  7年

息子は、3つ目の小学校に転校。

娘は、中高一貫の学校から、突然、高校受験となる。

今度は、東京から来たということでいじめられた。

高校3年間を、終わったら、他府県の大学に行った。

息子は、野球を続けて、甲子園に!!。  大学も野球で進学した。

主人は、始めて、単身赴任で、和歌山に行った。

岡山と和歌山を、行ったり来たり、息子の野球の応援に明け暮れた。

野球部の保護者に感謝。

 

そのF  奈良県奈良市 現在

主人の定年で、自宅に戻る。昔、奈良で、知り合った親友(私だけが思っている)と

又、昔の様に話し込むことが出来る喜びを味わっている。

娘は、東京で、毎日忙しく、仕事に頑張っている。

息子は、今年から新入社員。

主人と私は、慣れない、IT革命とかで、パソコンを習っている。年老いた、犬が、我が岡田家を、15年間守っているように思う。(犬も、東京―岡山―奈良と引越しをしている)家族に感謝

 

 

 

 


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