★ アクロポリス

 

飛行機がサロニカ湾に向かって高度を下げ、大きく右に旋回したとき、左の窓にアクロポリスの神々の殿堂が大きく飛び込んできた。

まだ、アテネの土も踏まないのに、機上からアクロポリスの全容が眺められようとは……。

予期しなかったプロローグだった。オリンポスの神々の国に来た……、と強い実感が胸に迫ってきた。

 アテネ空港は小じんまりと、およそ国際空港らしからず、学校の授業中の運動場のように閑静であった。空港の背後には、ヒユメトスの山々が迫り、その上に抜けるように青い空が眩しく輝いていた。

 空気は乾いていて、吹き寄せてくる海の風は爽やかだった。

陽の光も、冬とはいえ日向ぼっこにいいぐらい、ほかほかと心地よかった。

 自然の風物はさすがに美しく、生き生きした色彩に輝いていた。地中海風とも云うべきであろうか、バスのような人工のものまで含めて、全ての色彩が軽いパステル調であった。

 

★ パルテノン
ギリシャのシンボル、そして、アテネの街の最大の観光ポイントであるアクロポリスの丘。丘の頂上には、街を見下ろすように建つ白亜の神殿パルテノンがある。街の各所からこの丘を仰ぐことができ、朝夕の赤い光の中に幻の如く浮かぶ神殿は神々の棲息地かのように神秘的で美しい……。旅人が一度は足を踏み入れる神域には時代を超えた数千年前の輝かしい文明が息ずき、麗しいタイムスリップの世界が展開する。

ギリシャの神殿建築の偉大さは、数学的にも秀れていた彼らが、幾何学的に完璧な姿で築き上げた合理性…… シンメトリ/比例と、石という素材の中に潜む力を、徹底的に生きたものとしてまとめあげた芸術性にあろう。

この正確で感性的な、いわば、ギリシャの精神の結晶が、私に語りかけてくるものは、ドリス様式の男性的な外観にもかかわらず、典雅とか、荘重とか云うものではなかった。

ちょうど、構造物の設計計算が終わったときに味わうあの生き生きとした満足感、鮮烈な爽やかさとでも云えるものであった。

パルテノンの美しさには厳しい叡智と、瑞々しい清楚感があった。しかし、間近かに見

るオーダーは、エンタシスやフリーズの正確なプロポーション、彫りの深さにもかかわらず、石の質は想像していたよりも鈍く、白皙ではなかった。

度々の侵略者によって破壊され、足元に乱れ散っている無数の石塊は、風化し、鉄分のために茶色っぽかった。それにしても、もしも、パルテノンが完全無欠な元の姿のままで、私たちの前に現れたとしたなら、その厳格な芸術的統一に、果たして私たちは耐ええられるだろうか。屋根は抜け、破風は半ば崩れ落ちた現在の姿に、私たち日本人は、全体の姿の鮮やかさを空に思い浮かべて、柔かな心を持って接することが出来るのではなかろうか。

 

アテネ

                        ハドリアスの門から望んだアクロポリスの丘

 

パリ・ローマから来た人は汚い街と云うしかし、私のようにバングラディシュ、インドネシアなど見て来ている者には、アテネは明かるく瀟洒な街であった。

道路は広く、石灰質の土のせいか、しっとりと埃っぽくなかった。

車は多いが、一方通行、Uターン禁止、ゴーストップの連動…と、なかなか交通規制が整っており、それほど混乱は見られなかった。車が多いわりに、街が清潔な感じがするのは、一つにはトラックなど大型車の類が少ないせいかもしれない。これは、反面、産業がそれだけ振るわない証拠でもあろう。もう一つ、街をすっきりさせているものに、看板の東洋風な氾濫のないことであった。

広場には椅子とテーブルが持ち出され、背広にネクタイをきちんと結んだ人々が憩っていた。だが、ギリシャ彫刻に見られる端正な美男、美女の姿はどこにも見られなかった。

長い間に雑多に民族の血が混じりあったのであろう。娘は色白からず、背も高からずで、

男は髭をたくわえて、眼の鋭い人々が多く、不思議な相の人々であった。

  街はどこの裏小路からも、アクロポリスの一角や、ギリシャ正教の会堂が頂上に白く光るリカベトスの丘が望まれ、スケッチの格好なバックになる。

とくに、アクロポリスの丘から見下ろす町の風景は素晴らしかった。

古代ギリシャのポリスは、ことごとく、雄大明媚な眺めの所に築かれたという。海辺から少し離れた小高い丘は、防衛の意味もあったかも知れない。が、なによりも、彼らが広い海と山の眺め…… 自然の美しさに深い憧れを持っていたに違いない。

ここ、アテネのアクロポリスからの眺めも、その代表的な一つであろう。

町は黄色つぽい灰色をして光り、ところどころ黒っぽい緑色の樹木をもって、家々は小箱をつめたようにぎっしりと押し詰まっていた。

モノクロームに、甍がただ一面に埋めている日本の町の俯瞰を見なれた私には、建物が一つ、ひとつ、生き生きとパステル画を見るような彩であった。

古代アゴラ

アクロポリスの北側一帯は、古代アゴラを中心に古代の遺跡が点在している。アクロポリスばかりではなく、アテネの街の貴重な古代遺跡の一つとして、観光の必見のポイントに数えられる古代アゴラ。近くにはモナスティラキ広場が控え、下町情緒があふれる繁華街も広がる。

 アゴラとは、ギリシャ語で「市場」のある広場を意味する。しかし、現在の市場、広場とは少々意味が異なる。古代の広場はショッピングセンターの存在はもちろん、政治、経済、文化、芸術などの施設が整えられた広い一角を意味した。また、市役所や床屋、両替商、劇場などが造られた都市機能をもつ広場をアゴラといった。

テーセイオン(ヘーフィスティオン)

アゴラの丘の上に立つドリス式とイオニア式の複合式で、東西に6本、南北に13本のドリス式の柱が残り、内壁も完全に残ってるいるというギリシャでも貴重な遺跡で知られている。パルテノン神殿と同時期に建造されており、フリーズ(装飾帯)破風下の壁面には、ヘラクレスやテーセイオンの浮き彫りが施されていたので、テーセオンを祀った神殿と思われていたれていたが最近の調査で周辺から鍛冶に関する奉納品が多く発掘され、鍛冶の神ヘーファイステイオンを祀った神殿と判明した

ペリステロ(キオスク)

アテネだけでなく、ギリシャの街の街角各所に建つ小さなボックス型の売店ペリステロ。これは日本でいえばキオスクのことで、雑誌をはじめ絵葉書、地図、新聞のほか,菓子やガム、チョコレート、サングラス、土産品、そして切手までも販売している便利なお店。

店のそばにアイスボックスやクーラーがあればジュース類や水も販売している。

営業時間も個人経営のためまちまちであるが、大半は朝9時ごろから夜遅くまで開いている。旅行者にとっては本当に便利なストア的存在である

 

★ ヴィーナスの海

アッテイカ大陸の南端、スニオン岬には、広い海原を支配して、海神ポセイドンの神殿が崖の上にそそり立っていた。

それは、神殿というよりも、今では、列柱の遺跡に過ぎないかも知れないが、大理石はアテネのアクロポリスのものと異なって純白で、艶やかでさえあった。

紅い岩の断崖の上に築かれた柱越しに海を望むと、スミレ色をなす海が果てしなくつづき、岬の両側の屈曲の内と、外に、島々が調和して点在していた。

 あくまで晴朗で、青く、濃淡のない「青銅の大空」が眩しく陽の光をなげかけていた。

その間を、柔かな海の風が耳もとを掠めていった。 ときおり、濃い潮の間に、ヴィーナスの誕生を想わせる白い泡がかきたてられていた。 まことに、風景は自然のままでまとまった美しいパステル画であった。この岬は、また、エーゲ海に沈む夕日の景観は、世界で一、ニと下らない美しさと聞く。その美しさに浸るべくその瞬間まで待機することとした。そのときの景観は、筆舌に尽くしがたくカメラに収める。

ポセイドン神殿とスニオン岬のエーゲ海に沈む夕日

古代ギリシャ人は、彼らの国や海や山や野が、適当な位置から、適当に限られて眺められるとき、それだけで美しい…… ということをよくい知っていた。 彼らは、ポリスや劇場を、海や岬が美しく眺められる景勝の地に好んで建てた。自然の美しさの与える、晴晴と昂まった気分の中で政を行い、観劇を味わおうとしたに違いない。

紺碧の空のもとに、表面の滑らかな石灰岩の山肌を見ると、乾ききった近東の自然を偲わせるものさえある。しかし、柔かな陽の光のもと、渓谷に柔かな起伏の丘に、花がが乱れ咲き、銀白の葉裏の輝くオリーブの林の陰に羊の群れの遊ぶ趣は、何と美しい自然ではないか。

補記 アクロポリス/Acropolis

古代ギリシャの都市国家ポリスは中心市街と田園とからなり、中心市街は要害堅固な丘を持っていた。これらの丘は、はじめはポリスと呼ばれたが、後に都市国家の呼び名と区別するために、アクロ(高い)という語を加えてアクロポリスと呼ぶようになった。

アテネのアクロポリスは、市街の中心にある高さ約150m、東西約300m、南北約150mの石灰岩の台地で、古くより城壁が築かれ、知恵と芸術の女神アテナの神殿が築かれていた。 ペルシャ軍の侵入(BC480年)によって全ての建物が破壊されたが、後にペリクレスの時代から紀元前5世紀末にかけて、政治家ペリクレスと芸術家フェイディアス……その指揮下にイクティノス、カリクラテス、ムネシクレスらの建築家、アゴラクリトス、アルカメネス、コロテス、レシラスらの彫刻家の手によりアテネ全市の力を結集して再建した。

東、北、南、の三面が崖で西側だけが緩い傾斜になっていてその正面に登り口がある。

高い階段を上がると、プロピュライア(BC437432)というドリス式を加えた白大理石

の楼門が半ば壊れながら残っている。この建物の左翼にピナコテカ(絵画保管所)が付属している。プロピュライアの右手に張り出したテラスの上には、勝利の女神アテネ・ニケを祀る優美なイオニア式の神殿と,前と背後に4本ずつ柱が並ぶアンフィプロステュロス(BC421頃)がある。プロピュライアの楼門の正面に、フィディアスがマラソンの勝利品で作ったという女神アテナ・ポリスとアテナ王エレクテウスを祀るイオニア式の小神殿エレクテイオン(BC 421406頃)がある。六人の少女が天井を支える南側の柱廊は特に名高い。丘の中央部南よりに主神殿たるパルテノンがあり、諸神殿の建築およびこれを飾る彫刻は古代ギリシャの代表作である。今日は、神殿は大破し、そのペンテリコス大理石は昔の面影はないが、なお当時の壮観を充分に偲ぶことが出来る。

補記 パルテノン/Parthenon

アッティカ地方の守護神アテナ・パルテノスを祀る神殿で、旧パルテノンがペルシャ軍によって破壊された後に、ペリクレス時代にフェイディアスを総監督とし、イクティノスとカリクラテスを建築家として、BC447に着工し、BC432に完成した。

すべてペンテリコン/Pentelikon(アッティカ北部の大理石山)産の大理石を使い、正面8本、側面17本の列柱をもつドリス式ペリプテロス(周柱式)である。基壇(スティロバテス)は、30.88 69.5 mm。その上に東西に分かれている内室をもつ。

東の室は、フェイディアス作の黄金象牙像アテナ・パルテノスが安置されていた内陣で、西の室は祭具などを納めていてと思われるパルテノン(乙女の間)からなる。内室の東西両端にはプロナオス(前室)とオピストドモス(後室がつく。

外側の列柱の高さは10.43m、直径は下部1.904m、上部で1.841m、11個の鼓胴を積み上げて作られ、20本の縦溝が彫られている。この柱は他のドリス式神殿にくらべてかなり細く、柱上部の水平構造部エンタプチュアの丈を低くする考慮とともに、神殿全体を軽快に見せている。

   また、柱間も中央から次第に端は狭くし、外側の柱は、約7cm内傾し基壇は正面では約6,5 cm、側面では12 cm隆起し、敷石も軒回りもそれに応じて微妙な曲線をつけるなど、視覚上の精密な考慮が払われている。 パルテノンには真の直線や水平線・垂直線はないといわれる。柱の底部直径と柱間の比が4:9であり、この比がスティロパテスの幅と長さの比、内室の平面の比、東西正面の破風下までの高さと幅の比……、と建物各部分に繰り返すされ、いわゆるシムメトリア(造形美の基準))で秩序られていることも有名である。

 

 

 

 

 

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