旬の味と香り

京都の乙訓地方は旧くから農家の奥座敷とも呼ばれ、広い竹やぶがあることでも知られている。

 底冷えのする冬の朝、農家の人たちは早くから竹やぶに入って土いれという作業をする。

 土を丹念に掘り起こし、新鮮な空気を肥料とともにたっぷりと取り込んでやる。

 まだ寒さが残る三月には早くも走りの筍が収穫できるそうな。

 朝もやが立ち込める藪の中でカサコソと枯葉を踏む音をさせて土の盛り上がりを足の裏で探り当てるのである。まさに感と経験そのものだそうな。

 僅かな当たりを頼りにL字型をした独特の鎌を使って根元から押し上げるようにすると薄緑色の穂先がのぞいて次に柔かな産毛をつけた茶色の筍が顔を出す。春の匂いが鼻先に漂ってくる。

 京の町屋では初堀の筍で春の香りと美味しさを競い合うと言われている。木の芽和え、さしみ、煮物には生節、蕗、わかめ等々旬の取り合わせにこと欠かない。

 

 

かあちゃんかんにんな 

 



身代わり座禅より

 男はいつの時代になっても救いようのない動物であるとのことを聞いた記憶がある。まさに的を得た名言であると思う。

 最近観たお芝居にも男の浅知恵がまんまと奥方に見破られ、果ては悲しくもおかしい幕切れとなるのである。

 恐妻家で知られる主人公(山陰右京)が昨年飛騨(長野県)に仕事で単身赴任していたころ、土地の白拍子と懇ろになった。

 その白拍子が数日内に京に出てくるという知らせが右京の元に届いたのです。

 「アー、花子に会いたい。なんとしても会いたい。その為にはどんな手を考えようか」散々考えた末ある計画が彼の脳裏にひらめいたのです。

 「奥や、わしは近頃どうも夢見がよくない。じゃによって祠にこもって三日間の座禅をいたそうかと思う」ともちかける。

彼の妻は片時も愛する夫のそばを離れることを拒み「それなら屋敷内の祠でしなさい、それも一夜限りです」と言った。

 早速彼は下男の太郎冠者を抱きこみ、彼に小袖を被せ座禅の身代わりをさせて自分はいそいそと女の許に通っていったのです。

 夫の許に嫁いで此の方ひと時もそばを離れなかった妻は、寂しくていたたまれず祠に駈け寄り何かと夫(実は太郎冠者)を口説くのです。初めの間はかわしていたもののそこは偽者遂に正体がわかり、代わりに妻が座禅をして夫の帰りをいまや遅しと待ち受けるのです。

 そうとは知らぬ右京は、帰るなり妻の前で花子との逢瀬をとうとうと語り、挙句の果ては妻の悪口を並べ立てる始末、

 見る見るうちに小袖はぶるぶる打ち震え、堪忍袋の緒を切った妻はぱっと小袖を払いのけ発止とばかり睨みつけました。右京の目は点になり、体はかたまってしまいました。

 それからあとは、、、、、、、

 

 

自由人への旅立ち

 人間60歳にもなると女性はいざ知らず男は「老年への自立」が必要であると思う。

長年の会社人間で、毎日伝書鳩のように家と会社の間を行き来するだけの生活からまったく異なった世界へ飛び立つ「自由人への離陸」が始まるのである。 

 ここで大切なことは、気持ちをどう切り替えるかと言うことである。日本の多くの企業は、定年でリタイヤしたOBを集めては以後や旅行などの催しを計画している。これではいつまでも会社人間を引きずっていくことにもなりかねない。

 定年を迎えた人たちが以下にスムースに会社人間から開放され、自らに意思で第二の人生を謳歌できるか、そちらのほうを援助するほうがよりベターではないかと思う。

 例えば、定年五年前に定年後のための準備休暇を与える。これは将来自由人として生活するためにこころと身体のウォーミングアップを始めるのである。

 会社から定年という日を境にして放り出されたとき辛くないように予め準備しておくことも大切である。

 「自由人の旅立ち」に、まわりの心からの「おめでとう」を素直に受け入れ、それが似合う人になりたいものです。

 そして、「歳をとることはええことやで」と身体いっぱいに表現してみたい。

 

 

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