月曜 1530  北野榮子 自分史
ちょっと旅
私たちはちよっとした時間があるとぶらっと車に乗ってそこらへんを走り回る。車の中には、地図とコップともし温泉があればいつでも入れるようにとタオルも用意している。決して構えることのない気楽な旅?である。

若いころは、京都の王朝文化の雅やかさが好きでどちらかといえば大和文化への比重が少なかったように思う。目もくれなかったように思う。そのころは、今のように車も手軽ではなく、バスや電車を利用していたのでどうしても華やかな場所へと目がいっていたのかもしれない。

はじめて葛城古道を知った日から、わたしは大和の魅力にとりつかれてしまった
大和高田から尺土を通り、新庄町から五条市に向かう一本の広い道からひろがる数々の古代の歴史を秘めた葛城山麓。
 .景色のすばらしさもさることながら歴史の重みを感じざるを得なかった。

 とりわけ御所市の名柄というところをもう少し南に進んで高天原という標識のところをまっすぐ山に向かって進むと、深い森があり、それをぬけたところに、(高いところに)集落があるのにはびっくりした。  またそこに古代勢力をほこった葛城族の氏神、高天彦神社があって、私はひとめ、鳥居と社を見たとき心に衝撃が走った。 私はときどき、そんな経験をすることがある。 石の鳥居、朽ち果てそうになった桧皮葺の社、その神社を取り囲むような深い木々のなかにあって、溶け込みながら、しかし堂々とした威風をかもしだしているのである。 おもわず柏手をうってしまった。

.そういう風にさせてしまう重い歴史の雰囲気がそこにはあった。 小川をながれる澄んだ水の美しさにも心をうたれた。暑くなりかけた季節であったのでよけいにそう思ったのかも知れない。

神社の前に続く山門を東に少し下ると、神武天皇が大和を平定した時に激しく抵抗した土蜘蛛族の洞穴がある。今は柵をめぐらさせられたが,そのときはまだそばまでいけたので、碑のふもとにある盛りあっがった所に蓋のような石の前に立つことができた

蜘蛛族は手足が蜘蛛のように長いのでそう呼ばれたそうである。彼らを退治するのに鬘のつるで網を作りそれをおおいかぶせて殺したことから、それまで高尾張邑(たかおはりむら)と呼ばれていたこの地を葛城と名づけたと日本書紀にでているそうである。 私は蜘蛛族がどのようにしてこの洞穴に暮らしていたのかと考えると胸がどきどきした。

また、このあたりから反対の北の方向に少し行くと、神の天孫降臨の地、高天が原がある。
なだらかな山並みを背景に神秘的な静けさと温和さにつつまれて、本当に神々がお降りになられたのだと思えさえした。近くに北室院もある。

 

こんな風にして、時間が少しでもあればあちら、こちらのぶらり旅をしている。それがまた心が洗われる旅となっている。

  

この写真は葛城山麓で、喫茶店を開いておられる窪田さんの作品である。

いつ寄せていただいても店内には四季おりおりの葛城界隈のすばらし風景写真が飾られている。

『葛城古道の夜明け』

 撮影・窪田諭人

『静寂境、雪の高天原』 

 撮影・窪田諭人