私は大正15年6月生まれの昭和男です。まさに軍国日本の栄枯盛衰を体験した世代です。出身地は高知県ですが、工業学校に入学後大手建設会社に就職。当時占領下の北京支店を希望大陸に夢を抱き、製鉄所建設工事に従事し大勢の中国人作業員と苦楽を共に建設作業を学びました。戦争が拡大し繰り下げられた徴兵検査に合格、占領地の北支派遣軍工兵隊に北京駅から出征。肉親と永久の分かれに万感の想いを昭和20年4月1日に/入隊後は文字どうり月月火水木金金の休日無しの特別訓練3ケ月。人並みの工兵として内務班に配属、厳しい幹部候補生の訓練を受け漸く任官の途中で師団の移動。昭和20年7月ソ連軍参戦に伴い北朝鮮に貨物列車で移動、山中に陣地構築の露営作戦/8月終戦の詔勅。武装解除後にソ連軍が進駐、「日本軍は天皇の命で武器を捨てたから捕虜でない必ず日本に帰国さすから暫く待て」。10月漸く乗船到着港はウラジオストック、騙されの始まりであった。
 シベリヤ伐採抑留生活は多数のホームページでご承知と省略しますが/氷点下30度を越える厳冬の伐採作業は過酷でした。
 昭和21年12月緑茂る舞鶴港に/60万分の500人の一人として帰艦。幸運の始まりを自覚した人生のスタートでした。
 徳島市復興工事に復職2年後に、大阪本店管内の工場復興工事に転勤。当時の西大阪は焼け野原で、堤防も完備出来ず台風の襲来で水没する工場地帯の下町であった。折角生きて帰っても飯場の盛り切り飯、月給は安くても腹一杯の飯を食べたい。作業員飯場の側に社宅を建築してもらい、同郷の高知娘と新所帯。日本全体が貧しい敗戦焼け野原時代、アパートは勿論無い社宅満杯の先輩住居。狭いながらも2軒の社宅は現場事務所に近い、仕事本位の働き蜂社員には有りがたい新婚生活であった。昭和27年長女を故郷で出産、是非一戸建て住宅が欲しくその頃焼け跡が残る西大阪に平屋建て住宅を建築。結婚後最初のマイホームで1女2男を子育て、大阪で管理職の地盤を固め会社の信頼を得る。昭和45年高松支店の阪出工場地帯の総合所長に栄転。その間大阪の自宅を一部マンションに改築賃貸契約、高松市内に新居を建築結果高松在籍5年間マイカー通勤。次男が中学に入学を期に本店に交渉、建設ブームの大阪に転勤/千日前デパートビルの焼け跡を短期間で解体。大阪難波周辺のビル建築所長が10年間の定年延長を可能にした。在職中は高知男のシベリヤ帰りと、土佐のよさこい節と北支派遣軍が十八番の座興とした。
   
 余生は社会保険センター他の友達を大切に、会話の有る豊かさを願っています。会社関係のゴルフコンペ、水彩画教室他の友達交流を生かし、「我が人生に悔いは無し」を目標に精進します。願わくば、現在の構造改革に生きる我が子達へ!贈る言葉「昭和親父の愛国心と愛社心、そして家族愛を」。
 さて現在の心境を熟年ホームページに記入します。会社人間からの脱皮は夫の私が心掛け、妻の協力で豊かな余生の継続を期待します。夫婦円満の一つとして年中行事の家族旅行を掲載致します。
 正月の国内旅行と、年一回の海外旅行です。昨年は娘夫婦の孫二人とカナダ旅行を楽しみました。カデアンロッキーの海抜2400mの湖と氷河に感動しました。今年の正月は和歌山勝浦温泉の初日の出を夫婦で感動、スキャナーで子供達にメールを送りました
大手建設会社に勤務した私は70才まで定年延長し、一級建築施工管理技士として建築工事を統括しました。40有余年間の会社員は、仕事が趣味に直結した活気とやり甲斐が有る職場でした。退社後は社会保険センター他で趣味を見出し、余生を楽しんでいますが老化現象を感じる昨今です。ストレス解消に熟年ホームページの筆を進めていますが。先に自分史を編集済みですので、同世代の夫婦に共鳴頂きたく簡単に略歴を記入します。
私は大正15年6月生まれ、妻は昭和5年5月生まれの金婚式夫婦です。悠々自適ながらも、私共は高知県生まれの大阪市子育てです。建築工事現場所長として、四国支店/本店管内に転宅し定年後は生駒市の現住所を本籍にしました
さて戦争を体験し、敗戦後の祖国を復興さした自負を持つ私は共鳴する友達の少なさを痛感します。夫婦ですが妻の場合は簡単に仲良し友達が出来ます、男と女の差は教育環境で相容れない要因が出来ます。昭和男の私は男女7才で席を同じくせずの軍国教育で成人しました。然しながら同世代は戦争の犠牲者でもあり、年齢相応に死亡も増え世の中は平成の教育が馴染んだ者達になりました。現況は構造不況も加わり定年退職者が若く、男の話題が減少し意気投合が難しい世の中です。熟年ホームページは、同様の世代に呼びかけるメッセージです。夫婦で趣味を楽しむ或いは夫婦で一泊旅行をしょう、簡単な事ですが家族環境で羽目を外す事が難しい。「私の場合は、生まれは高知県/子育ては大阪市/老後の現住所は生駒市です。男子2人/東京在住所帯主、女子1人/大阪在住主婦です」。
 海外旅行ツアーでご一緒の方と年賀状のお付き合いはしていますが、家庭事情までは話題が進めませんツアー仲間です。ホームページを見る30代40代は仕事が忙しい、暇な熟年はパソコンを見ない現状でしょう。熟年ホームページを遊べる同好会は又の機会に、パソコンを楽しめる余裕の人生!精進します。
 
 
 

 

70才以降の余生は、剰りにも波乱の会社時代が懐かしい仕事人間を痛感します。昭和57年生駒市の現住所に本籍を移転後18年。自分史を振り返る時、昭和男の原点は軍国教育による祖国愛です。現在の成人式の年代に如何に戦い、そして耐えた!抑留生活〜敗戦祖国の復興に賭けた青春時代。祖国愛〜我が社愛へ!妻を愛し家族の繁栄を願い、仕事人間に徹した我が人生に悔いは無い。