月曜日1530分 「第9」の男 自分史
年末の風物詩 自分史を作るという課題が出て、はてどうしたものか考えてしまった。が、今現在気合をいれてやっていることを書けば、それも自分史の一部分に違いないと自分勝手に納得することにした。
 最近、といっても20年?以上も前からだが、年末の風物詩の一部ともなっているものに、ベートーヴエンの第9シンフォニーの演奏会がある。
月になるとあちこちで始まるので、人によってはうんざりするかもしれないが、わたしはそれらの演奏会のひとつに参加しているのである。 
1983年(昭和58)に第1回目が始まって、今年2001年で第19回目となる「1万人の[第9]コンサート」がそれである。

私はその第16回目から参加をはじめた。

 今から3年前の1998年(平成10年)のことである。この演奏会は、指揮者もオーケストラも、もちろん一流のプロの人たちだが、コーラスだけが何故かアマチュア、しかもずぶの素人でもよいのである。素人ばかり万人を集めてベートーヴェンの大曲を歌わせようというのだから大胆にして壮大なプロジェクトだが、なんとそれが19回も続いているのが凄いとおもう。
 練習 さて、私も今回で回目になるのだが、本番の演奏会では、暗譜で歌わなければならないので,これが大変なのである。そもそも歌詞はドイツ語である。意味の分からないドイツ語の歌詞を暗記して、しかもその歌詞に含められた感情まで表現することを求められるのだから、簡単なことではない。ということで4年目にして、なんとか楽譜を見ないで、(ただし人の尻についてだが)歌えるようにはなりました。ご指導くださったプロの先生方、全くの素人に忍耐強く、言葉の意味から発音から、更には発声の基本まで教えていくご苦労はお察しいたします。ありがとうございました。
 11月27日には本番の指揮者佐渡 裕氏の特別レッスンがあったのである。190センチはあろうかという巨漢でありながら、気さくな笑顔が親しみやすい雰囲気を漂わせる人である。ヨーロッパを舞台に大活躍しておられる有名な指揮者である氏が、このコンサートを指揮するために、わざわざパリから(普段はパリ暮らし!)帰国してこられる、

というのがまた嬉しいところだ。そして我々素人を相手に極めて熱心に情熱的に合唱指導をしてくださる。従って我々もそれに応えようと頑張る。両者の気合がピタリ一致したときこそ合唱の醍醐味である。

 本番 平成1312月2日午後3時、「万人の[第9]コンサート」の開演である。観客席も満員であるが、それよりも壮観なのは1万人の合唱団である。なにしろ観客のおそらく56倍はいようかという人数である。おそらく初めてこの演奏会に足を運ばれたお客さんなら、目を丸くすること間違いなし。客席正面にオーケストラ、そしてその後ろに我々合唱団が陣取るのだが、客席をぐるっと取り囲む形で、女性は白のブラウス、男性は黒のスーツ姿で威儀を正して居並んでいる図は圧巻である。

そもそもベートーヴェンは、この曲にどんな思いを籠めたのか?佐渡さん(あえて気易く呼ばせていただくが)は、「世界中の人々がケンカをしないで仲良く暮らせる世の中になればいいね。」というメッセージが籠められている、と書いておられる。

  合唱が始まる最初の所で、「フロイデ」と力強く歌い出すのだが、この「フロイデ」(歓喜)
という言葉の「発音に気をつけると同時に、一人ひとりの声が1万倍、否それ以上になって響きわたるように歌ってほしい。この出だしが良いか悪いかで、今までの練習の苦労が報われるかどうかの分かれ目になる。」「音を体にしみこませる、言葉を覚える、本当の歓喜を手に入れるのに、決してやさしい道ではないのですが、きっと奇跡の瞬間がやってきます。」

当日のプログラムに、落語でおなじみの桂南光さんが書いている文章によると、「佐渡さんは今はやりの陰陽師、会場の1万人の皆様、今日も彼の術にかかって、存分にたのしんでください。」とある。 バリトンの独唱者が「フロイデ」と歌いだすのに応ずる形で、バスの合唱が「フロイデ」と答える。ここで佐渡さんは、この「フロイデ」にスピード感がほしい、といわれる。指揮棒の動きより一瞬早くFの音が出てこないといけない、「FろイDE」!!という感じ。「うれしい」とか、「やったア」という、いや、もっと激しい感情の爆発をここで見せたいのだ、と。9月のはじめから3カ月の間、週1回の練習を積み重ねてきた、その成果をこの一瞬に示さなければ、今までの努力は水の泡だ、という思いは合唱団全員の思いでもある

1楽章、2楽章、3楽章と演奏は進んで、いよいよ4楽章、われわれの出番となった。バリトン独唱の「フロイデ」が終わった瞬間、「FろイDE」!!!という自分たち男声陣の声が聞こえたとき、「あツ、やった」と思ったのである。後は一気呵成、まさに音の奔流である。

 魔術師 指揮者佐渡 裕は正に魔術師。指揮棒は魔法の杖。オーケストラも4人の独唱者も、そして我々合唱団も、ひたすら指揮棒の動くままに、時には劇しく又時には祈りを籠めた静けさで演奏を繰り広げていったのである
 べートーヴェンは、耳が聞こえなくなるという、音楽家として致命的な疾患に苦しみながらも、幾多の名曲を残している。この交響曲第9番「合唱」の各楽章は彼のそれまでの生涯を振り返ったものとなっているそうだが、苦しみが大きければ大きいほど、それに打ち勝ったときの「歓喜」がどれほどのものになるか、充分に想像できる。その「歓喜」がこの最終楽章で爆発しているのだ。我々素人合唱団も燃えた。歌うほどにその感激は益々高まっていったのである
フロイデ」で始まった合唱は「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン」(歓喜、美しき神々の火花よ)という言葉で終わるのだが、最強音(ff)で「ゲーッテルフンケン」!と歌い終わったあと、佐渡さんが静かに指揮棒をおろした時、一瞬の間をおいて客席からの拍手と同時に、我々合唱団員全員も思わず一斉に拍手をしていた。果たして奇跡の瞬間が起こっていたかどうかは佐渡さんに聞いてみないと分からないが、少なくとも私自身のなかでは「やった!やった!」という気持ちから自然に拍手が出ていた。おそらく全員の気持ちもそうだったのではないか。
 今年の参加者の中には7歳の少女から、89歳の高齢者までがいると聞いたが、あるいは19回全部に参加している人もいるほどに、この第9のコンサートは、歌うほどに魅力が増してやめられなくなるらしい。私自身も、来年も「絶対に参加するぞ」と鬼に笑われるのを覚悟で決心しているのである。
 9月11日アメリカ・ニユーヨークで起きた同時多発テロ事件の後、世界は騒然となってしまった。
 ベートーヴェンが200年も前につくったこの第九交響曲の中に、「アーレ メンシェン ヴェルデン ブリーデル」(すべての人々は、兄弟だ)という言葉があるが、IT化の時代ここまで世界が狭くなってきているというのに、いつまで国家だ、民族だ、宗教だ、と人々の心の中に垣根を立てようとするのかと、ベートーヴェンさんももどかしい思いをしているのではなかろうか。