◆ 家庭教師・沙織の恋人 ◆



■ 第2回 ■  秘密の会合

「ちょっと待って・・・っ! 待って・・・よ!」

私の声は虚しく夜の遊園地に響いた。
でも、呼び止めたかった姿は一度も振り返らずに闇の中に消えていく。
別れ話だと勘違いした数人が興味深げに向ける視線を振り払って、私も足早に遊園地の出場ゲートへ向かう。

怒っていないんだから、待っていて欲しいの。

願いは届かず遊園地の出口には翔くんの姿はない。
無意識に携帯を取り出すけれど思い留まった。
「今、かけたって・・・」
許せる範囲のハプニングだったけど、きっと翔くんは自分を許せないと思う。
そんな子だもの。 不器用で臆病・・・一学期指導してそれはわかるの。

「時間がかかるわね・・・。 気持ちを落ち着かせる時間が」
開いた携帯の短縮ボタンは電話ではなくメールを押す。
そして簡素に帰りの夜道の注意を送信した。
少し待つけれど翔くんからの返信は来ない。
ため息をついて、私は駅へと足を向けた。




電車の中で何度も考えて何度も携帯の画面を見たけれど、解決できる答えも浮かばず返信も届いていなかった。
駅を降りてすぐにタクシーを飛ばせば翔くんの家に先回り出来るかも知れないと、思い描いたりもする。
だけど、やっぱりこのまま明後日の家庭教師の日までそっとして置いてあげるのがいいのよね?

陰鬱として電車を降りて、改札を出たところで握り締めていた携帯が震え始めた。
慌てて画面を見るけれど見知らぬ電話番号。
でも僅かな可能性を考えてためらわずに電話に出る。

「もしもしっ、翔・・・くん?!」

だけど電話の相手は無言だった。
間違い電話、いたずら電話かも?と頭に浮かぶけれど、もう一度呼びかけてみる。
「先生、怒ってないから。 だから・・・っ!」
「本当に翔は愛されているのですね。 うらやましいな」
返事を返してきたのは翔くんの声じゃなかった。

「すみません。自己紹介しなくて。 翔の家庭教師をなさってる望月先生ですね? はじめまして、僕は翔の学校の友達で吉村と言います。   実は、翔から意味深なメールが届いたので失礼ながらお電話したのですが、今よろしかったでしょうか?」

「吉村・・・誠一くん?」
「あ、はい。 下の名前、翔から聞いて下さってたのですか?」
「ええ。 吉村くんは学校で一番のお友達と聞いて・・・」
「それは嬉しいな。 望月先生のお話もよく翔から聞くんですよ」


家庭教師で翔くんと出会いと吉村くんの名前が出ない日はないわ。
授業のあとは決まって一階のリビングでお茶を飲むけれど、その会話の中に必ず吉村くんは登場していた。
学校だけでなく休日に一緒に遊びに行くことも度々あるみたい。
弟と並んで学校で翔くんの身近にいる男の子の一人だったの。

「それで、あの・・・。 意味深なメールって?」

自己紹介も早々に届いたメールの内容を尋ねる。
「望月先生に関わるものなんですが・・・。 僕が知っていい内容なのですか?」
彼は丁寧に断りを入れて聞き返えしてきた。
翔くんが話してくれていたように礼儀正しい子のよう。

「え、ええ。 深く詮索してくれなければ・・・」
「わかりました。 翔からのメールには『誠一君ごめん。 試験のこと無駄にして』とだけあったんですが」
「試験のこと・・・って?」


意外な内容に驚く。
『先生を怒らせた。どうしよう?』とかなら分かるけれど、試験のことっていったい?

「それで心配になって翔に電話したんです。 でも出てくれませんでした」
「そう、なの・・・」
「だけど僕には、翔からのメールに心当たりがあります」
「なにっ?? 何でもいいのっ、翔くんが思ってること知りたいから!」
でも、吉村君はそこで言いよどんでしまう。

「それは・・・。 電話では言えません。 望月先生でも、いえ、先生だからかな」
「どういう・・・・・・」

そして直接会って話をしたいと持ちかけてくる。
時間はまだ遅くはなかったから彼の提案に従うことにする。
指定された場所はここから数駅先の繁華街だった。
その駅前のファーストフード店で会う約束をする。

「電話では話せない何か・・・」

むくむくと不安が湧いてくる。
胸の奥に閉じ込めたはずの疑念が顔をのぞかせていた。






「翔から聞いてたよりずっと素敵な方ですね」

会った早々、彼はお世辞を言いながら爽やかに微笑んだ。
身なりも清潔感が漂っていて翔くん同様に優等生な雰囲気を持っている。
ただ身長は翔くんよりも随分高くて私と同じくらい。
整っているけれど少し幼い顔立ちに気付かなければ高校生に見えてもおかしくない。

「翔が会わせてくれないはずだ。 紹介されたらうらやましくて、僕も授業をお願いしてあいつの時間を奪ってしまいそうだもの」
だけど、それまでに何度もナンパされて来た私の勘がささやいてる。
この子はどこか危険・・・。
まだ中学生なのに大学生の私と対等な目線で話をしてる。

「翔くんには、このこと伝えていないわね?」
「ええ、これは僕と望月先生の秘密の会合です」
「ありがとう。 彼には無用な心配かけさせたくないから」
「本当に翔は愛されてるな・・・。 家庭教師ってそんなに親身に生徒を想えるものなんですか?」

席に着いて向き合って、吉村くんは身を乗り出して尋ねてくる。
気分はそれどころじゃなかったけれど無視するわけにもいかない。

「最初の教え子なの。 だから、出来るだけ力になってあげたいのよ」
「大学で教師を目指して勉強しているのですよね? 翔から聞いてます。 あいつは先生にとって良い生徒ですか?」
「人には良い面も悪い面もあるわ。 悪い面を指導するのも教師の務めだと思うの」
「学校の成績だけじゃないんですね?」
「ええ、そうよ。 人生の先輩として勉強以外に教えられることもあるんじゃないかしら」
「それは・・・恋人になって、翔とデートすることも含まれているんですか??」


秘密をさらりと暴露して微笑んでる吉村くんを私は真正面で見つめて絶句した。
なんでっ?? どうして彼が知ってるのっ?

「翔から聞きました、では普通ですよね? 実は僕、二人の約束にもっと根幹な部分で関わってるんですよ」

背筋がざわざわと嫌な感触で震えてる。
一度は考えもしたけれど馬鹿らしくて・・・ううん、信じられない自分が嫌で振り払った疑念が語られようとしてる予感に身を固くする。

「望月先生もそれが頭のどこかにあって来てくれたんですよね? 勉強が苦手な翔が期末試験の成績で先生と夏休みの間恋人になれたのは・・・。 僕が伝ったからですよ。 二人の答案をすり替えたからなんです」




吉村くんは翔くんの話だとクラスのトップスリーに入る成績だという。
そんな彼の答案なら翔くんが一気に成績を上げてもおかしくない・・・けれど。

「そ、そんなのっ・・・信じ・・・られないわっ。 そんなの、翔くんがするはずっ」
言葉を詰まらせてしまったのは自分も疑念を抱いてしまったからだった。

「翔の名誉のために言いますけど、この不正は僕が提案したものなんです。 いつも以上に試験前に悩んでた翔を問い質して、先生との約束を聞き出して僕が手を差し伸べたんです。 もちろんバレたら僕も罰を受けるつもりでね」

「そんなっ・・・証拠・・・ある、の?」
私はすがり付くように彼を見つめた。
間違いであって欲しいと、その一身で吉村くんの言葉を疑う。

「翔の答案の内容、今ここで言いましょうか? 先生が見てなかったら確認できないけれど、あとで見せてもらってください。 間違えた箇所、全部合ってると思いますよ」

心の準備が整わないうちに彼が空で解答を口にする。
高得点な答案だっただけに間違いは少なくて、その箇所は今でも覚えてる。
凡ミスとも思える間違いも彼の言うとおりな回答だった。
だけどそれだけじゃ不正行為の証拠にはならない!

「そんなのっ、そんなの答案を見せてもらえば! そうよ! それだけですり替えの証拠にはならないわ!」

気色ばんで立ち上がった時点で負けを認めていたけど、それでも口を固く結んで本当のことを言うよう彼を強い視線で見下ろす。

「筆跡鑑定とかしない限り不正を完全に証明する方法はありませんよ。 それよりも、翔に聞けば早いでしょうね。 僕が秘密を漏らしたと言えば、きっと正直に全て話してくれますよ。 僕も学校にバレたら停学は確実ですからね。 そのことを凄く気に病んでますから」
「そんな・・・そんな、こと・・・っ」

言えない。 言えるわけないじゃない!
教え子を信じる信じないとかじゃなく、言えばお互いにひどく傷ついてしまう。
全てを知られた翔くんだけでなく私も顔を合わせるのが辛くなる。
それだけ彼を追い込んでしまっていたのだから・・・。
きっと私の元を逃げ出そうとする彼を引き止める資格はない。
今までしてきた努力してきた事が間違っていたと認めなくちゃいけない。


「大丈夫ですか? 顔色がすぐれませんよ」

力なく座り込んだ私を、吉村くんは席から身を乗り出して心配する。
「どこかで休んでいきませんか? このまま帰らせるのは心配ですから」
テーブルの上で握り締めた私の手に彼の手が添えられる・・・。

「今回の不正を僕は納得して関わりました。 だからバレても翔を恨んだりしません。    ただ・・・望月先生に直接会って気が変わりました。  翔が憧れる家庭教師の先生・・・話を聞いてて僕も憧れていたんですよ。  そして、先生は本当に素敵な女性だった・・・僕が付き合ってきた人の中で一番。    だから、僕も先生と秘密を共有したくなりました。  二人だけの秘密、僕にも分けてくれませんか??」


「それは・・・脅し・・・なの?」

顔を上げると吉村くんはにこやかに微笑んでる。
添えられた手が手をやさしく包み込む・・・。

「好きに・・・したら、いいのよ・・・」

そこに彼の意思を感じて、私は言葉で強がることしか出来なかった。





■ 続 ■




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