南北朝以前
九月十日(菅原 道真)
常磐雪行(梁川 星巖)
大楠公(徳川 斎昭)
弔小楠公墓(杉 孫七郎)
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九月十日 菅原 道真
捧 恩 愁 去 九
持 賜 思 年 月
毎 御 詩 今 菅 十
日 衣 編 夜 原 日
拝 今 独 待 道
余 在 断 清 真
香 此 腸 涼
《読み》
きょねんのこんやせいりょうにじす
しゅうしのしへん、ひとりだんちょう
おんしのぎょい、いまここにあり
ほうじして、まいにち、よこうをはいす
《私流口語訳》
去年の今夜九月十日は御所の清涼殿で陛下に待して愁思の詩を
詠み、陛下からお褒めを頂いたが、
愁思の詩を思い出すと寂しさで身を切られる思いだ。
いまは、太宰府に左遷されており、その時のご褒美として
陛下から頂いた御衣は今ここにあって、その残り香を拝して
毎日すごしているような生活を送っている。
1年前のことを思うと本当にさびしいかぎりだ。
《作者》
菅原道真(845-903)が太宰府に流され、我が身を嘆じた詩
常盤雪行 梁川 星巌
叱 他 呱 雪 常
咤 年 々 圧 磐
三 鉄 索 笠 雪
軍 拐 乳 檐 梁 行
是 峰 若 風 川
此 頭 為 巻 星
声 険 情 袂 巌
《読み》
ゆきは、りゅうえんを、あっして、かぜは、たもとをまく
ここ、ちちをもとむる、 いかんのじょうぞ
たねんてっかい、ほうとうのけん
さんぐんを、しったせしは、これ、このこえ
《私流口語訳》
「常盤児を抱くの図に題す」ともいわれており、
保元・平治の乱で源氏と平家が入り乱れて抗争を繰り返し、
敗れて主人源義朝を失った常盤御前が、3人の子供を連れて
雪の中を落ちてゆく。そのとき、雪は笠の縁に覆い被さり、
風が着物のたもとを巻き込むようにさむざむと吹きまくって
いる。その胸の中で乳飲み子が乳を求めて泣いているのは
何とも悲しい眺めである
しかし、後年、大軍を指揮してふるいたたせ、鉄拐山の険しい
急斜面を逆落としに攻めて平家を討ちこの屈辱をはらしたのは、
この泣いている乳飲み子なのだ。
《作者》
梁川 星巌(1789〜1858)
妻:紅蘭。江戸で玉池吟社を設け名声四方に鳴る
菅 茶山、広瀬 淡窓、菊池五山などを門人とする
大楠公 徳川 斎昭
楠 人 湊 豹 大
氏 生 川 死 楠
精 有 遺 留 公
忠 限 跡 皮 徳
万 名 水 豈 川
古 無 連 偶 斎
伝 尽 天 然 昭
《読み》
ひょうはしして、かわをとどむ、あにぐうぜんならんや
みなとがわのいせき、みずてんにつらなる
じんせいかぎりあり、なはつくるなし
なんしのせいちゅう、ばんこにつとう
《私流口語訳》
<<工事中>>
《作者》
徳川斎昭(1530〜1878)の代表作の一つ。
弔小楠公墓 杉 孫七郎
也 無 身 南 弔
来 限 死 朝 小
此 秋 家 命 楠
地 限 亡 脈 杉 公
灑 湊 名 一 孫 墓
潸 川 永 糸 七
然 涙 伝 懸 郎
《読み》
なんちょうの、めいみゃく、いっしかかる
みはしし、いえはほろびて、なは、ながくつとう
かぎりなきの、しゅうふう、みなとがわの、なんだ
また、このちにきたって、そそぐこと、さんぜん
《私流口語訳》
<<工事中>>
《作者》
杉 孫七郎(〜)