A1-2 赤間関(薮 孤山


	[読み下し文]
	
朝風 浪を破って 一帆 還る
碧海 遥かに 回る 赤間が関
三十六灘 行くゆく 尽きんと 欲す
天辺 始めて 見る 鎮西の 山
[吟符及び音階] ちょうふう なみを やぶって いちはん かえる 2'3' 3'5 2'3'3 五番 36 二十五番 3'3 十番 へきかい はるかに めぐる あかまが せき 乙1五 の二番 3'3 23 七の二番 37三十一番 3'3 一番 さんじゅうろくだん ゆくゆく つきんと ほっす 3'5 五十四番 36 五番 376 二十五番 23 十番 てんぺん はじめて みる ちんぜいの やま 乙1 五の二番 23'3 3'3 六番 376 二十五番 23 一番 [解説] 作者について、ここでは「薮 孤山」と表記していますが、これは後世 誤って伝えられたようです。 井上詠月さんから次のような情報を頂きました。 『「赤馬が関舟中の作」又は「赤馬関舟中」の作者ですが、 伊形霊雨 です。薮 孤山、霊雨の弟 大朴となっているのが あるようですがいずれも間違いです。 これにはちょっとしたエピソードがあります。 霊雨(1745ー1787)は熊本の農家の人ですが、学問は群を抜いて 秀才だったそうです。大志を抱いて、熊本の 時習館 に入った時、 五言古詩 五十篇を作ったそうです。これを 時習館 館長の 薮孤山 が見て大変驚き「李太白また生まれたり」と言ったそうです。 霊雨は又、和歌や国史にも、通じていたそうですが、薮孤山は これを藩侯に推薦し、詩文の教授に当たらせました。その後、 藩命により、京都に遊学し、帰郷してからは、子弟の育成に勤め ました。 この詩は、藩命により、京都に遊学しての帰途、船で周防灘から 赤馬が関に回り、はるかに九州の山を望み、なつかしさのあまり 作ったものです。 この投稿は、主に、石川忠久先生(二松学社 教授)の著書による ものでその外、他の書などから、私がアレンジしたものです。 いずれにしても、「赤馬が関舟中の作」は伊形霊雨 に間違いない ようです。後世、誤って伝えられることって、よくあるものですね。』 埼玉大学の福島さんの解説を参照 上記吟法は、関西吟詩文化協会指定の音階及び譜名に もとづき、池田先生が菖黎風工夫を加えたものです。 しかし、転載や誤字・誤植はすべて私の責に帰します。