競技会記録

グランプリ大阪スタンダード (池田五月が丘体育館) 2001.4.22

 結果 セミファイナル

 なんと競技会の前一週間私は、季節はずれのひどい風邪を引いてしまい
 仕事も二日休み、寝込んでしまった。高熱が出て、練習はおろか、出場も
 無理かと思ったが、なんとか前日には回復し、出場した。しかしやはり
 病み上がり。先々週の西部日本とは大違いで、調子が悪い。私は風邪が
 気管支にくるので、持久戦になるととたんに胸が苦しくなる、最悪のコンデション。
 全国からフルエントリーの中、このような体調で準決勝に進めたのはラッキー
 かもしれない。このところ踊りが上向きだったので、体調を整えられなか
 ったのは残念至極である。またセミファイナルは、タンゴから、とうとう力つき
 ふがいない踊りをしてしまったのがとにかく残念。

 当日、K山氏、名古屋のK氏、T山氏など強い組がセミファイナルを逃し、
 スタンダードは一寸先は闇。日本のアマチュアスタンダードは今、上位20組
 くらいが横一線の戦国時代といえよう。一瞬の気も抜けない。



前期西部日本選手権(池田五月が丘体育館) 2001.4.8

 結果 優勝

 当日は、小春日和で今年からワールド閉鎖に伴い、あたらしくJBDFの大阪で
 の開催はこの池田の体育館で開かれることになった。付近は花見の名所でた
 くさんの人がきていた。この西部日本はアマチュア、プロともに年一回で西部
 日本チャンピオンを決定する重要な大会だ。
 従って、西部のフルメンバー出場で気合いが入った。最近若手の選手もでてきて
 気が抜けない。幸い一次予選から、調子はよく、いつもあるようなコンタクトの
 違和感はない。2次、3次とフルチェックで駒をすすめ、準決勝もなんとか踊りき
 った。決勝でも割とばてなくてすみ、オール一位で優勝することができた。
 やはり優勝することはうれしいものである。

 最近踊りが大きくなった、とか、よくなったといわれることがあり、自分でも最近
 踊りが楽しいときが増えてきたように感じる。 しかし、課題も多い。課題はやは
 りクイックのフィガーが少なすぎることだと思う。グループの開発が必要であろう。
 私たちは器用な方ではないので、新しいステップを覚えるのにとても時間がかかる。 

東京インターナショナルオープン(代々木第2体育館)  2001.3.18

 結果 ベスト24 (総合13位)

 前回に引き続き、母の病気で練習不足気味で臨んだのだが、結果はともあれ
思い切り踊れたので、久しぶりに爽快感があった。この大会は一昨年からJDSF
が主催する、IDSFオープンの競技会。だんだん海外から参加する選手が増えて
きて、今回は決勝に日本人が1組も残れない結果となり、真の意味で国際競技会
にふさわしくなってきた。準決勝には日本人5組、で私は他の4組と同じく次点で
準決勝には進めなかった。日本人としては6位の成績でまずまずといえる。

しかし海外の選手の踊りをじっくりとみて、その質の高さ、個性の表現には頭が
下がる。参考になることが多く、日本での成績を一喜一憂するのでなく、踊りその
ものの改善が必要と感じた。今回はいろいろ、アイデアが浮かび、東京での先生も
わざわざ見に来ていただいて、ヒントになることが多かった。また日本人だけの試
合よりのびのびと踊れて爽快感があった。海外競技会と思ったら、かえってリラッ
クスができたのがよかったと思う。またわれわれの年齢でもまだまだ踊れると思っ
た。

BDFジャパンカップ大阪大会(帝国ホテル大阪)   2001.2.15

 結果、総合2位

 終わった後、感想はとにかく超くやしー。の一言、。勝ち負けに一喜一憂するのは
おかしいとよく先生にいわれるのだが、地元で、東部の日頃負けてない選手に負け
たのは、ちょっとショック。
でも審査員は外人が多く一流どころだから文句は言えない。この大会は、JDCが
主催する外人選手、外人審査員を多数招いた、JBDFの日本インターに匹敵する
豪華な試合だ。日頃日本人審査員に対して成績のよくない選手がいい成績を取っ
たりと、おもしろい結果が期待された。

最近われわれは私の母が病気で入院したりして、練習があまりできていないのであるが
それはいいわけだ。でもドニーが1位を多くつけてくれ、ロビンショートが悪い評価で
同じ審査員でも見所が違うのかもしれない。ロビンには前から評価が悪く、いったい
どこが悪いのか、聞いてみたい。

スーパージャパン日本選抜選手権(幕張メッセ)  2001.3.5

    結果 W.T.VW --- 最終予選
       SF.Q ------ 準決勝

 これも、超、超くやしー、、の一言。スロー、クイックとまえの最終予選(けっこう
固まってた中から)あがったのだが、これもスローにかけろということかと、
3チェックであがれず、(おいおい、斉藤先生入れてくれよー)とほんといいたいが
(たしかまえの全日本でも斉藤先生、ジャッジ時間に遅れてきた)まあーしょうがないな、
これもいいわけ、とにかく、あの準決勝からひとつも決勝に残れないのは結構ショ
ックなものです。今度の東京オープンでリベンジだーー。

スーパージャパンカップ(全日本選抜選手権大会)幕張メッセイベントホール

 平成10年3月1日  成績:第7位

 この結果は我々カップルにとって、はじめてのJBDF三大大会(スーパージャパン、日本
インター、全日本)のファイナルに残った記念すべき大会となった。全日本クラスの大会に
出場するようになって実に8年間を経過していた。JDC全日本はファイナルに残っているが、
ほとんどのトップメンバーが出場するこの3大競技会のファイナルに残れたことは正直いっ
てうれしい。しかし、8人決勝中第7位という結果は厳正に受け止めなければならず、更に
精進をし、次回の日本インターに向けて努力を続けたい。

 当日は、東京は朝目が覚めると一面の銀世界であり、我々ホテル宿泊組でさえ、会場へ
の移動は困難であった。当日関東の選手は電車が不通になったりして、かなり不便を被っ
たようである。前日のラテンセグエを観戦したが、セグエは年々かなりショウアップされ、本
来のボールルームダンスから離れていってるのではないかとふと思った。そのなかで塚本
組は初出場ながら、好感の持てるセグエであった。プロモダンの5種目は、田中−アデー
ル組の圧勝であったが、日本インターのときより更にカップルとしてのコンビネーションが
増してきている印象をうけた。決勝の音楽は長く、また遅いテンポだったので、さすがにプ
ロ6組も、つらそうであった。アマラテンは常連5組が決勝に駒を進め、今回は日英カップ
ル西島組を内堀組が阻止した。菅野組は3位であった。

 二日目のアマモダン、プロラテン5種目、プロモダンセグエは外は一面の銀世界の中で
進められた。スーパージャパン独特の形式、予選段階で2面同時進行、審査員が、前半
2種目、後半2種目で交代をするという方式で、大量の審査員を導入し、過密なスケジュ
ールをこなしていく苦肉の策であろうが、選手にとってはちゃんとみてもらえるかという不
安の声は大きい。選手も審査員もなれていないので、ほんとに目に入ってくるカップルし
か残らないであろうと思われる。

あんのじょう西部で初出場の慣れていないカップルが数組が一次予選で敗退してしまった。
かくいう私たちも去年は最終予選までしか進出できなかった。

予選毎のテェック数は輪飛び抜けて良くもなく悪くもなくで、なんとか準決勝まで駒を進める
ことができた。自分たちの踊りの調子は、そんなに悪くもなくボデートーンを失わないよう、
留意しながら踊った。準決勝は生バンドで一面で広いフロアーとなったが、相変わらず長
い曲でまだ終わらぬかまだ終わらぬかと思いながら踊った。VWの最終小節は長い潜水
から海面に出られたときのような思いであった。

準決勝からパレードまで3時間近く間があり充分休養がとれたのだが、私達はもう絶対決
勝には残れていないだろうと、思っていたので案外気分は楽だった。12組が壇上に上が
ったときも、自分の前にコールが当然通り過ぎるであろうと思っていたので50番と呼ばれ
たとき一瞬何のことかわからず、次は飛びあがってしまった。決勝はうれしいばっかりにな
っていしまったので今後の反省とすべきであろう。私たちと、吉川組と中西組が同点で決
勝にあがるという珍しい結果となり、いかに最近のアマモダンが接戦であるかがわかる。

プロセグエは田中−アデール組のこれぞ正統派イングリッシュスタイルとも呼ぶべきボー
ルルームダンスの神髄を表現しており他組の装飾の多いセグエがかすんでしまうほどの
出来映えであったと感じた。

'98前期西部日本選手権(ワールド)         '98、4.19

   
    プロモダンA級 市川先生撮影              プロモダンA級 市川先生撮影   

結果2位


西部日本選手権は年間を通じて、スクリヴナー杯と並ぶJBDF主催の大きな大会です。
このアマオープン戦には、西部地区(関西、中国、四国)のアマチュアモダン選手が
ほとんど出場する伝統のある大会です。今回アマチュアは120組のエントリーがあり
ましたが、今回はキャンセルが多く98組の出場となった。4次予選まであり、決勝メン
バーバーは5組(長岡、松村、松尾、足達、長久)はスクリヴナー杯と同じメンバーで
今回新たに、神戸大の金田組がはじめて決勝入りをした。

私自身は、もう少し思いっきり踊れたら良かったと思い、ボデーウエイトを利用したス
イングのある踊りが今後の課題である。