第一回世界選手権シニアスタンダード
(1'st World Senior Standard Championship '94)

この第一回世界選手権シニアスタンダードはIDSF(国際アマチュアダンススポーツ連盟)
の主催する世界選手権のうちシニア部門の世界選手権としてはじめて開催された競技会であ
った。IDSFでは競技会のクラスを年齢で区分けしており、ジュヴィナイル、ジュニア、ユース、アダルト、シニアと分けられている。そのうち世界選手権がわるのは、ジュニア、ユース、アダルトのみであり、そのほかにもフォーメーションがあるが今回新たにシニアの世界選手権が開催されることとなった。IDSFでもそれが決定されたのは急であり、実際に各国に代表要請の話があったのは

この年の5月でああったと聞いた。日本では世界選手権はアマチュアランキングの上位から、10ダンスでは選考会が行われ決定されるが、今回のシニア世界選手権では選考会を行う余裕がなく、94年度全国ランキングの上位の選手のうち男女とも35歳以上の選手から声をかけていった模様であった。日本ではシニアといえば、どちらかというと高年齢からはじめられた中高年の競技会という色彩がつよく、実際45歳以上とか、の制限がある。したがってゴルフのような現役引退後の一流プレーヤーという感はない。

そのようなことから声をかけられた選手は敬遠したようで私たちに(ランキング10位くらい)声がかかってきた。連盟からも援助があるとのことで、フランスに行けるならと要請に応じることにした。

場所はフランスのパリの南西200kmくらいのBourgesという中世から栄えている小都市。フランスで
IDSFの世界選手権が開催されることは珍しいとのことで、第一回のシニア選手権がはじめて開かれることとなった。私たちは互いに休みが4日しかとれず、ヨーロッパに4日でいってて帰ってくるハードな遠征となった。

試合の一日前の10月9日パリのドゴール空港に夜10時到着。そのままタクシーで、モンマルトル駅日回ホテルメリヂィアンにはいった。次の日の朝。時差ボケに悩ませながら、モンマルトル駅から朝8時の列車に乗った。ヨーロッパの列車に乗るのははじめてであり緊張した。列車の中でコンパートメントにいると中年のご婦人が話しかけてきて(英語で)乗り換えの駅を教えてくれたので助かった。

Bourgesに12時くらいに到着し、役員の方が迎えにきてくれていた。役員といっても若い青年で、アマチュアらしく車には仕事の道具が載っていた。

ホテルは小さなホテルだが清潔で、すでにたくさんの選手がくつろいでいた。我々はフランスに到着した次の日であり、少し仮眠をとった。4時に会場にいくバスに乗ったが、選手はすべてドレスアップしており男性はスーツ、女性はドレスであり、ネクタイをはずしていた私は後悔した。

会場の入り口で、役員によりパスポートのチェックがあり、年齢を確認された。私はちょうどその年、37歳で選手の中では若い方であったと思う。会場ではジュニアのヨーロッパ選手権が行われており、若々しいカップルが、ラテンを踊っていた。会場はこの町のコンベンションセンターのようなホールであり、フロアーをすり鉢上に客席が取り囲み、ダンスの会場に適した感じであった。

Bourgesの町は有名な寺院があるとのことであったが見学する機会とれなかった。選手の控え室では、簡単な軽食が用意されていて、ライスの入ったサラダ等があったがおいしくはなかった。

出場している選手は、ヨーロッパを中心に、遠いところではアメリカ、カナダ、オースラリアから17か国33カップルの出場であった。みんな30代と思われ練習ではとてつもなく上手に思えた。

競技はIDSF独特のリダンス形式で、最初の一次予選で上位12組を残して、その他の21組により
二次予選を戦うという形式で進められた。私達は、この上位12組に残ることができ、3次予選にに進み、なんと準決勝まで残ることができた。IDSFの競技ルールでは各曲毎にヒートの選手が入れ替わ
るので順番を覚えるのがたいへんであった。しかし審査の公平性を考えると予選でずっと同じ選手が同
じヒートで踊るというのも、おかしいのかもしれない。

プログラム構成は昼の部と夜の部に別れており、昼の部はフランスのジュニアラテンの競技会が行われていた。ヨーロッパ人のジュニアラテンは表現力が大人顔負けであり見応えがあった。ヨーロッパの競技会の常で、夜の部は8時頃から始まり、ぞくぞくと正装した観客が集まり、地元Bourgesの町からこぞって
たくさんの人が集まった感であった。夜の部のスタートに選手紹介がありそれぞれの選手の名前と国がコールされると、ヴィーニーズワルツでフロアーに踊り出て、正面に並んだ国旗のもとに並ぶという演出であった。ジャパンはわりと拍手が多く人気であった。私達は観客席に踊っているとき近づくと、たくさんの人が多いに拍手をしてくれ、たいへん人気があったようである。単に日本人が珍しかったからかもしれないが、大いに気分よくした。

夜の部は、最終予選から始まったが、準決勝の結果が張り出されると、私達は惜しくも1チェック差で
決勝に進めなかった。着替えて観客席から決勝を見ていると、周りの人からおまえ達は、なんでここで見ているんだ、絶対決勝に残れると思ったと、声をかけられ、うれしかった。

決勝は7組が残っており、ドイツ、イタリア、フランス、デンマークのカップルが残っていた。優勝したドイツのブルガー組は、身長も高く、年齢は36才で、全英のアマに昨年準決勝まで残ったカップルで、
優勝は当然と思われた。そのほかのカップルも、踊りがワンピースで、音楽性が感じられた。ただし正直にいうと7位だったカップルには勝てそうな感じはした。

全プログラムが終了したのは、12時半くらいで、それから宿舎のホテルに皆でスーツケースを押しながら歩いて帰った。翌日は朝の7時の電車に乗らなければならなかったのでたいへんであった。

今回全行程4日というスケジュールだったので、試合に出るにはもうすこし余裕が必要と感じた。しかし
はじめて自分たちだけで、海外の競技会に遠征することができ、自信ができた。またヨーロッパの選手の踊り、競技会の雰囲気に接することができ、有意義だった。

日本の競技会との大きな差は、やはり観客の盛り上げ方と感じた。大変拍手をしてくれるので、踊っている選手にすれば、うれしいものである。