KCN-Netpressアーカイブス

人と心とふれあいと
Vol.1

 

邪馬台国は大和にあった

奈良大学学長 水野正好さん



 高校生の頃、ふと立ち寄った古書店で手にした森本六爾著の『日本考古学研究』が考古学に進むきっかけだった。
「本を開いた瞬間におもしろい学問やと思いました。序文には考古学は文学であると書いてあったんですよ。当時400円でしたが、私には大金でしょ。毎日20円ずつ貯めて買ったんです。売れていないかを毎日確かめにいってね」

 考古学との劇的な出会いで水野さんはすっかりそのとりこになった。ようやく手に入れた『日本考古学研究』は何度も何度も読み、考古学関係の本を読むために中之島図書館に通った。

 「図書館では本を読みましたが書き写しを随分したもんですよ。今みたいにコピーなんてなもんありませんからね。自分の手で書くしかありません。でも、それだからこそ記憶にのこるんですな。

大阪学芸大学に進んだんですが、考古学という学科はありませんから、独学。一人やったから良かった。止める人がいないわけですからね。好きなように好きなだけできました。高校時代から奈文研(奈良国立文化財研究所)での発掘を手伝ったりして、四天王寺や川原寺を掘ってたことも大きな経験でした。
今では考えられないかもしれませんが、昔は考古学では食えないと言われてたんですよ。それがこれほどのブームになったのは大発見があったからです。起爆爆剤になったのが高松塚古墳。法隆寺にしかなかった壁画が古墳にあったんですから、驚きでした」

 現地説明会を開いても少人数の参加しかなかったのも今は昔、一日で万のつくほどの人々が集まることもある。シンポジウムや講演会が次々に開かれ、史跡が公園化されたりというのは考古学者の努力があればこそ。そして何より、発掘される品々から、当時の人や暮らしに思いをはせるのは楽しい。歴史ロマンとして多くの人が関心を寄せるのが邪馬台国。

 「邪馬台国の台の字はトと読むんです。文字通りやまと国。天理市にある大和神社のあるあたりが日本の中心だった。だからあの周辺にたくさんの古墳があるんです。あれは皇族の墓。倭国の首都はヤマト、ヤマトの中心は大和神社のあたり、これは決まってます」



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