KCN-Netpressアーカイブス

人と心とふれあいと
Vol.6

 

狂言に息づくおもてなしの心

「千人の心に届く声で謡う」


ookura-san

大蔵流狂言若宗家
大蔵彌太郎さん


 狂言の主役たちはまず名乗りをします。「これはこのあたりに住まい致すものでござる」。名もないどこにでもいる人間であることの表明なのでしょうか。

 南北朝という動乱の時代に生まれた舞台劇は、奔放な生命力に溢れ、当時の日常を活写します。舞台に登場する様々な人間の台詞は笑いを引きおこしますが、笑わせようとして卑に落ちることは、厳しく戒められているそうです。
「笑みの内に楽しみを含む」喜劇であれと世阿弥が説くように、大蔵さんが目指すのも「ほのぼのとした笑いが狂言の特徴」とか。

 「いつから狂言を始めたのかって聞かれるのですが、母親のおなかの中にいる時からなんです。胎教も子守歌も狂言ですからね。難曲といわれる『花子』をお稽古していた時、何となく懐かしかったんです。これは父が子守歌に謡っていた曲だった。お稽古も割合楽でしたよ。5歳で初舞台を踏み、私にとって狂言は生活の一部でしたが、小学校の時初めて狂言ってすごいと思ったんです。教科書に狂言が載っていまして、担任の先生が『これは大蔵君にやってもらいましょう』とおっしゃって、先生が僕の席に座られました。僕は台詞を謡って話しをしたんです。その時、先生が知らないことを僕は知っている、父はすごいことをやっているんだなと思いました」

 大蔵流は明治まで奈良町の中に屋敷があり、幕府からの扶持があったそうです。今、屋敷跡には石碑が立ち、児童公園になっています。東京在住の大蔵さんですが、お正月、禰宜座狂言、薪能、おん祭と奈良の行事には欠かせない人です。

 「心の底から笑えて、ほのぼのとおかしいのが狂言だと思います。帰って、おやすみになる時にふと思い出して笑ってくださる、そんな狂言を目指しています。千人の心を我が心とし、千人の人に聞かす声を持てという教えがありますが、その通りだと思いますね」
ゆったりとした会話のやりとり、絶妙の間、忙しい現代の暮らしにこそ求められているリズムではないでしょうか。



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