| 古都の冬の寒さは、足元からじっくりと這い上がってきます。地球温暖化でこの頃はずいぶん暖かくなったとはいうものの、真冬に冷たさはことのほかです。2月4日は立春ですが、寒さが最も極まるのはこの時期。とはいうものの髪の根元を梳くような冷たい風の中にも日差しは確かに明るさを増し、夕刻も年末よりはずっと日脚が伸びているのを実感できるものです。立春の前日は節分で、暦の上ではこの日を境に季節が変わります。新しい春を迎えるにあたって、悪疫を祓うためにさまざまな行事が行われてきました。奈良町など古い町家では鰯の頭を柊に刺して門口にくくって鬼払いを託します。柊のとがった葉が鬼の目を刺し、鰯の悪臭に鬼が逃げるとの言い伝えからの風習は、今でも町を歩くと見かけます。鰯の頭も信心からといいますが、住む人の心が思われて、いいものですね。
節分行事はもともと大晦日に行われていました。中国では先秦時代といいますから、紀元前3世紀頃、すでに行われていたようです。日本に伝えられたのは平安朝。宮中では追儺(ついな)の儀式として行われました。大舎人が仮面をかぶり、盾と矛を持って鬼を追い、王卿以下は桃の弓に葦の矢を放って追い払ったようです。鎌倉時代末まで公の儀式になっていたといいます。やがて、神社や寺院で追儺式が行われるようになり、大晦日から節分の夜にと日取りも変わっていきました。
千年古都の京都には歴史の長さだけ魑魅魍魎が棲みついているようで、節分祭に出会う鬼のさまざまなこと。平安神宮では古式にのとった大儺之儀が執り行われますが、方相氏(ほうそうし)のいでたちの迫力といったらありません。茂山一門による奉納狂言の後、午後からとりどりの装束の公達、神子の童などによる式は、王朝時代さながらの典雅なものです。その先頭を行くのが方相氏。黄金四ツ目の異様な面をつけ、黒衣に朱の裳を付けた方相氏は霊木である桃の枝で盾を打って厄を払い、その後を「鬼やろう、鬼やろう」と言いながら行列が続きます。四ツ目というのは目の持つ気が邪気を祓うからといわれますが、四方を睨むことも含むのでしょうか。目比(めくらべ)という睨み合いも行われていたようで、子供たちの遊び「にらめっこ」はその名残りとか。方相氏はその異様ないでたちからやがて鬼役になっていくのですが、平安神宮では古式通りに鬼を祓う役を果たしています。
奈良の節分はやはり興福寺の豆撒きでしょうか。福豆を年の数より一つ多くいただきますが、これも大晦日に行われていた名残りだそうです。巻きずしを今年の恵方、南南東を向いて食べるのも関西では広く知られていて、お寿司屋さんには行列ができるほど。
古都の鬼たちが伝えてくれるのは、語り尽くせない深い歴史とほのかな春の気配ですね。「鬼は外!」そして「春よ来い!」って大きな声で叫びましょうか。
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