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 陰暦6月は古くから水無月と呼ばれてきました。梅雨時で最も水に恵まれるこの月が水無月とは、ちょっと実感から遠い感じがしますね。“みなづき”の由来についてはさまざまな説があるようです。陰暦6月は陽暦なら7月。酷暑のために水が涸れつきる月、だから水の無い月というのが大方の説とか。でも水無月は後世の当て字で元々“み”は水、“な”は連体助詞だと考えると“水の月”、つまり田に水が満々と張っている月だとの説もあるようです。語感からいえば、この方がふさわしい気もします。万葉集には「六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして」(6月の照りつける日差しで大地さえひび割れ、乾ききっているというのに私の袖は涙に濡れて乾くことがないのです。あなたに会えないものだから)と詠まれているところを見ると炎暑、酷暑の“水が無い月”にも説得力を感じてしまいます。この暑さに耐えつつ風を待つところから「風待月」、夕立の雷からでしょうか「神鳴月」の名もあります。陰暦と陽暦では随分季節のずれがあるようですね。

 6月5日から7日まで唐招提寺では開山忌が行われます。天平5年(733)8月、聖武天皇の命を受けて伝戒の師を迎えるために遣唐使が海を渡りました。揚州大明寺の律僧、鑑真は戒律の第一人者。この高僧、鑑真を日本へ招くというのがその目的です。遣唐使の熱意に打たれた鑑真は日本へ行く決心をしますが5度までも渡航に失敗します。苦難の日を重ねて日本へたどり着くまでに12年もの歳月が流れていました。苦難の旅の中で二人の弟子を失い、自身も失明してしまいます。来日した鑑真は東大寺大仏殿の前に戒壇を設け、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒を授けました。その後、西の京にあった新田部親王旧宅地に唐招提寺を開いたのです。鑑真は4年後天平宝字7年(763)5月6日結跏趺坐のまま76歳の生涯を閉じています。夢で鑑真の入寂を悟った弟子によって作られたのが国宝の鑑真和上像。両眼を閉じて端座する高僧の風格をあますところなく伝え、肖像彫刻の最高傑作と伝えられています。開山忌には鑑真和上像と東山魁夷の障壁画が公開されます。今年は5月31日から6月8日まで公開されることになりました。

 唐招提寺は平成10年から大修理にとりかかっており、天平の甍で知られる金堂は覆屋で見ることができませんが、同じく修復中である国宝の本尊と千手観音立像が見学できます。平成22年の落慶法要の前に修復中の仏像や建物を見ておくと一層落慶の感激が深くなるのではないでしょうか。

 芭蕉は和上像を見て「若葉して御目の雫ぬぐはばや」と詠んでいますが、ちょうど今頃の情景です。

 6月11日は入梅。暦の上で太陽が黄経80度を通る時のことです。大体この頃から梅雨に入るようですが、梅雨入りは気象上梅雨前線や気圧配置を見ながら気象庁が発表するもので年によって変わります。入梅と梅雨入り、紛らわしいのですが、ちょっと違うようですよ。梅雨の字を書くのは梅の実が熟する頃だから。梅干し、梅酒、この頃は梅酢も人気があるようです。一手間かけて我が家の味作りに取り組んでみてはいかがでしょう。今年漬けて来年から食卓へ、なんてこれこそ今提唱されているスローフードの典型ですね。

 6月の花といえばやはり紫陽花。咲き始めから落花まで花の色が変わるから七変化とも呼ばれます。矢田寺では今年もとりどりの紫陽花がそれぞれの花の色を雨ににじませることでしょう。そして22日は二十四節気のひとつ夏至です。太陽の黄経が90度で最も昼間が長く、この日からまた少しずつ日が短くなっていきます。

蛍、蚊遣り、睡蓮、西瓜。夏はすぐそこ・・・。

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十薬
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6 月 水無月
水無月
メールにもちょっと時候の挨拶
「庭の紫陽花が咲き始めました。雨に濡れると一層きれいです。」
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「新茶が届きました。八十八夜に摘んだものでしょうか。甘く優しいお茶の味が梅雨のうっとうしい気分を晴らしてくれました。一服如何?お茶しましょう」
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「晴れると真夏の暑さだし、降るとうすら寒く上着が手放せませんね、家の中でも。」
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「雨の日でも紫外線は雲を通り抜けて柔肌を老化させるとか、気をつけましょうね。」
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「庭の雑草、抜いている後ろからすくすく育って、もう全く!」
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「傘はいつも忘れてしまうので、安物に決めていましたが、安物だから忘れるのかも。決心してブランドの傘を奮発したのにやはり忘れた!駅に電話して探してみたけど無かった。傘は安物にかぎる。」