line

 八月は葉月のほかに月見月、萩月、紅染月、木染月とも呼ばれます。葉月は木の葉の黄落し始めることからの呼び名で、木々の葉が最も茂るという意味ではありません。また、稲の穂がはる月ということからはづきになったという説もあるようです。いずれにしても陰暦での名付けですから、実感とは少し異なった印象もありますね。でも夏真盛りである八月の中にこそ夏の凋落があり、秋の前触れを感じることってありませんか。8日は立秋、15日は大文字焼き。6日から繰り広げられていた燈花会もこの日が最後。22日の処暑を過ぎると夏休みも終盤になって子供たちは宿題に追われるのでしょうか。

暑さの中にも朝夕の涼風が立ち始め、ほっと一息つくのもこの頃です。

 とはいうもののこの間の暑さは大変なもの。じりじりと照りつける太陽は暴力的でさえあります。地球温暖化の影響でしょうか、夏の気温も昔よりずいぶん高く、凌ぎにくくなった気がします。それだけにクーラーが活躍し、温暖化に拍車をかけるといったジレンマに陥ってしまったのでしょうか。古い映画を見ていると、ビルの中でも窓を開け、背広姿の男性が扇子を激しく動かしながら仕事をするという場面があって、隔世の感がしました。暑さへの対処は昔からさまざまに工夫され、家も夏向きに建てるべきだというは徒然草を書いた吉田兼好でした。夏の暮らしに活躍しそうな軒下、縁側といった空間は室内室外をつなぐ独得であいまいな日本ならではの空間です。花火をしたり、西瓜を食べたりという思い出と共に縁側を思い出す人も多いのではないでしょうか。紫式部もまたこの開放的な場所を源氏物語の舞台としてさまざまに使っています。たとえば「東屋」の巻。薫が浮舟を訪ねる場面で「さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそきかな」と書いています。雨垂れが落ちてくる軒端に薫が座り、浮舟の誘いを待っている場面です。部屋の中の浮舟は御簾を通して薫の気配を感じています。薫にも部屋の中の浮舟の揺らぐ心情がかすかな衣擦れの音と共に伝わります。庭と軒下の縁側、そして部屋のつながりが切なく感じられる場面ですね。

 夏という文字は儀容を整えて舞う人の姿からできた文字です。古い時代、中国には夏王朝がありましたが、舞楽こそ文明を示すものということから高い文化を誇った王朝だったようです。そして夏の色は朱。東の青春、南の朱夏、西の白秋、北の玄冬というように方角、季節にも色が決められていたのですね。そうそう青龍、朱雀、白虎、玄武とそれぞれの方角を守護する動物も決められていました。

 清少納言の枕草子に「いみじゅう暑き昼日中に」という書き出しの文章がありますが、この中にあまりの暑さに扇で風を送るのだがなま暖かい風ばかりでせめて氷水に手を浸しているとある人から手紙が届きます。これ以上は染められないほどの深い紅色に染めた紙に文字が書かれ、石竹の花に結びつけられていたのです。清少納言はそれまで手放すことのなかった扇さえ忘れ、送り主の心を喜びます。ここはやはり朱色の紙でなければならなかったのだと思います。今ならさしずめ涼しげな水色にしてしまいそうですが。

 さて、暑さをクーラーだけでしのぐのではなく風鈴、打ち水、団扇に昼寝、ちょっとエコロジーな夏も体験してみましょう。食欲がなくなったら、冷たいそうめん、なんていかがでしょう。

line
浴衣
滴り
冷麦
暮らしの歳時記
花と行事のページへ
最新ページへ
バックナンバー
8 月 葉月
ひまわり
メールにもちょっと時候の挨拶
「朝から降るような蝉時雨。今日も暑くなりそうです。」
line
「毎日の散歩、8月になってから夜にしました。朝、私にしては6時過ぎという早起きだったのに、もう太陽が輝いていて。でも夜は蚊が出るのでこれもねえ。もっと早起きするべきでしょうか。」
line
「朝顔に花ちゃんと名前をつけて毎朝水やりしています。すごくきれいな花をつけるのですよ、毎日。見に来てください。」
line
「新しい水着を買いました。着たいけど日焼けは厭だし、結局室内プールで泳いできましたが、やはり海で思いっきり泳いでみたい。」
line
「百日紅が太陽に向かって咲いています。向日葵、夾竹桃と同じでよほど太陽が好きなんですね。」