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 つるべ落としの秋の日に心急かされる頃、街路樹が色づく頃、11月。秋は春とは逆に北から南へ、山から里へと紅葉前線が下ってきます。全てが生命力に溢れる春の彩りとしのび寄る冬将軍の足音に耳をそばだてながらの最後の饗宴にも似た華やぎと、さてどちらが美しいのでしょう。繊細な美意識を培ってきた日本では古くから春と秋のどちらが美しいのか論じられてきました。“春秋の争い”と呼ばれますが、何とも優雅な争いですね。

 春秋の争いの最初は古事記に出てくる秋山之下氷荘夫(あきやまのしたひおとこ)と春山之霞荘夫(はるやまのかすみおとこ)によるものです。秋の兄と春の弟が一人の女性をめぐって争うのですが、この時は春の弟が成功します。この時代、中国文化の影響を受けていると思われるのですが、中国には春と秋の優劣を争う詩や文は無いようです。錦秋という言葉もあって錦は秋を思わせますが、中国で錦と称えられるのはむしろ春の花。春秋に心を惑わせるのは日本的な美意識といえそうです。

 万葉集では巻一に天智天皇が藤原鎌足に「春山に咲き乱れる万花のあでやかさと秋山をいろどる千葉の彩りと、どちらに深い趣があるか」とお尋ねになります。その時「秋山ぞ我は」と答えたのは才気溢れる額田王でした。答えに詰まった鎌足に代わって「春の山は美しいけれど草が茂って入れないけれど、秋の山には入れるし、紅葉を折って手にすることもできるわ。秋の方が好き、私は」と言い放った額田王の感性と度胸には喝采を送りたい気がします。源氏物語でも「春秋の争いに昔より秋に心寄する人は数まさりけるを」と書かれていますが、額田王の影響があったのかも知れませんね。

 春の万花に優る秋の紅葉は冬を背景にするから一層美しく見えるのでしょうか。昼間の暖かさと、夜の冷え込みによって、さらに空が青く澄んだ午後の陽射しをたっぷり受ける時にますます美しくなります。

 さて、あなたは春と秋のどちらがおすき?

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敗荷
栗飯
夜寒
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11 月 霜月
散りモミジ:九品寺
メールにもちょっと時候の挨拶
「11月になったら、おめかしした子供たちが目につきます。羽織に袴、蝶ネクタイ、振り袖やふわふわのスカート。15日は七五三なんですよね。」
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「正倉院展が始まりました。朝から行列ができていました。紅葉狩りと展覧会なんて、秋の奈良ならではです。」
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「日暮れが早くなって、何か気持ちが急かされます。一日が短くなったみたいで。」
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「街路樹のナンキンハゼがとてもきれいです。緑や赤、とりどりの葉の重なりが絵のようで。」
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「自然は絵のように、絵は自然そのもののように見える時美しいって言ったのはデカルトだったかしら?紅葉が夕日に照らされているのを見て、なるほどなあって感心しています。」
「炬燵や鍋物が恋しい季節ですね。暖かいのがご馳走。はや、そんな季節になりました。」
「観葉植物を部屋に入れ、ペットの座布団も冬物に。そろそろ炬燵も出そうかしら。」