あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
もういくつ寝るとお正月…、なんて新年を楽しみに指折り数えていたのはいつ頃までだったでしょうか。お正月と聞いて、慌ただしく心急かされるようになってしまったのは、お年玉をもらう方からあげる立場になったのがその境目だったのかも知れません。
お年玉の語源は神社で年神様へ奉納した鏡餅を参拝者に分け与えた神事からだといわれています。鏡餅は文字通り鏡を象ったものであり、鏡は魂までも映すと信じられてきましたから鏡餅は大切な米と自分の魂をも捧げる深い意味が込められていたのでしょうね。鏡に映す魂は玉と同じ音。鏡餅には年神様の魂までも映されていて、それをいただくのですから年神様の玉というわけです。年神様の玉だから年玉、それに御がついてお年玉となったとか。
昔は家長が神社でいただいてきた鏡餅を家族や使用人にも半紙で包んで与えていたようです。そういえば、東大寺二月堂で行われるお水取りに供えられる丸いお餅も行が終わると縁のある方に分けられます。14日間堂内に供えられていた餅はひび割れて少し黴の匂いもしますが、これを食べると一年間息災だといわれます。これなども年玉の名残なのかも知れません。
鏡餅はやがてお金になって包む紙にも工夫が凝らされます。そしてぽち袋も登場するのです。“ぽち”というのは古い関西弁の心ばかりという“ぽちっと”と関東弁の少ないを表す“これぽっち”からの言葉を語源とするようです。少しのお金を入れる袋だから“ぽち袋”。近頃は子供のお年玉も少しの額ではないようですからぽち袋ではなくたっぷり袋と呼ぶべきでしょうか。でも子供にとってはお金の多少ではなく心のあり処をしっかり渡したいものです。ぽち袋は小さな袋ながら、お金では測れない心が添えてあることを伝えましょう。
木版刷りのぽち袋を揃える店を訪ねてお話を聞いたことがありますが、数十年も昔のぽち袋を大切に残している人もいて感動したそうです。もう見本さえ残っていない、古びたぽち袋にはそれを貰った時の喜びが封印されているのでしょうね。毎年たくさんのぽち袋を買う人は500円玉を入れて行きつけのお店にお年玉として渡すのだとか。渡された人はぽち袋を店のインテリアにするとか。「そんな話を聞くとこちらもしっかり作らなければ」と話していらっしゃいました。
小さなものはほんの掌に乗るほどのものからさまざまな大きさや形のものが並んでいました。そして、江戸の粋、関西のはんなりと好みが分かれるとも。さて、今年は中身より袋に力を入れてみようかしら。
さて、大人になるとお年玉の楽しみはありませんが、春財布の縁起で楽しんでは如何でしょう。春財布とは新春のうちに人からいただく財布のことで、中身が空にならないといいます。使い古した財布の新調は新春がふさわしいという縁起でしょうが、響きのいい言葉です。そういえば財布は使い慣れるとなかなか替えるきっかけがつかめず、けっこうよれよれでも愛着から使い続けてしまうものです。友人や家族でお互いにプレゼントしあうのもいいかも知れませんね。 |