如月、梅月、雪消月、初花月・・・と呼ばれる2月は雪消月や初花月といった呼び名とはうらはらに一年で最も寒さが厳しくなる時です。温暖化が進んだとはいうものの、寝床から起き出す辛さはなかなか大変。暦の上では3日が節分、4日は立春を迎えます。そういえば、外の寒風を遮った部屋の中にいると太陽の陽射しの明るさに春を実感します。カーテンのくすみが気になったりして。日脚も12月と比べると随分長くなったし枯れ木の梢にも小さな芽がしっかりと冬に耐えているのですね。寒風の中に春は確かな歩みを続けている、そんなことを感じるのが2月。
3日は節分。子供の頃「鬼は外、福は内」の掛け声で豆を撒くのは楽しいものでした。この日だけは食べ物である豆をどこへ投げても叱られないのですから。鬼追いは追儺(ついな)または鬼やらいと呼ばれ、大晦日の夜に悪鬼を払い、疫病を除く儀式として行う宮中行事でした。大舎人(おおとねり)の中から背の高い人を選んで方相氏と呼び、黄金四面の仮面を被って鬼を追う役目を果たしたそうです。廷臣一同は霊力があると信じられていた桃の木で作った弓や枝を持ち、大きな声をあげて騒ぎ、鬼を追い払いました。後にこの方相氏が鬼に見立てられて追われるようになったといいますから、皮肉なものですね。このような行事は文武天皇(697〜706)の頃、中国から伝えられたのですが、民間で節分の夜に豆撒きをするようになったのは近世になってから。
奈良の節分といえばやはり興福寺でしょうか。今のような鬼追いの行事となったのは戦後すぐの頃。疲弊した奈良の町を元気づけようと始められたのだそうです。興福寺だけでなく大和の各地で鬼追い式が行われますが、春日大社では舞楽奉納の後、午後6時から約3000基の灯籠に灯が入り、幻想的な雰囲気を醸し出します。夏にも中元万燈会が行われますが、寒い季節のしかも夜の行事は同じ万燈会でも全く違った印象です。参道をたどるにつれて冷気が深まり、灯の連なりは目にも心にも染み込んでいきます。年の数だけ豆を食べて、恵方へ向かって巻きずしを黙々とまるかじり。さあ、これで今年もきっといい年・・・。
14日には長谷寺でだだ押しという鬼の行事が行われます。これもやはり追儺会。ここでは閻魔(えんま)の印ダンダを額に押すことから“だだ押し”と呼ばれるようになったとか。午後3時頃から法要の後に赤、青、緑の3匹の鬼が大きなたいまつを持って暴れながら回廊を走ります。参拝者は鬼を見ようと近づき、燃えさかるたいまつがやってくるとどっと後ずさりします。落ちたたいまつの燃え貸すは歯痛止めや厄除けになるといわれ、人々は競って拾います。この行事は、昔長谷寺の奥山に住んでいた鬼が暮れ六つの法螺貝を聞くと町へ下りてきて人々を悩ませるので修二会(しゅにえ)の法力をもって調伏(ちょうぶく)したという寺の故事が儀式化したものとも言われています。数年前伺った時の鬼役は長谷寺ゆかりの建築会社員。宮大工をめざすという若者は「太鼓や法螺貝の音で気分は高揚するし、大勢の人に見られて気分がいい」と元気いっぱいに鬼の大役を果たしていました。
京都でもさまざまな鬼の行事が伝えられていますが、ちょっと面白いのが須賀神社。聖護院一帯の産土神として信仰を集める神社では翁と媼が豆を撒きますが、白布で覆面をした懸想文売りがいるのです。懸想文といえば恋文ですから、何やら色っぽい節分ですがこれを箪笥に入れておくと着物が増えるとの言い伝えがあるのです。老若を問わず女性に大人気の懸想文売り、今年は足を伸ばして京都へ行ってこようかしら。
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