弥生三月春うらら・・・とはうまくはゆかず、暖かい日があるかと思うとまた寒くなったり、季節は行きつ戻りつ。随分前になりますが、3月も末になっての大雪などということもありました。3月3日のお雛様、14日の二月堂お水取りの満行を迎えるまではコートも手元に置いておきましょうか。
大和の春を開くお水取り、いよいよ3月1日から本行に入ります。天平勝宝4年(752)大仏開眼の年に東大寺を開いた良弁僧正の高弟実忠和尚が始めたと伝えられていますから、ことしで1253回目を迎えます。気の遠くなるような遙かな昔から、一度も絶えることなく続けてきた行は平安時代から“不退之行”と呼ばれて今に至っています。一般にはお水取りとして知られていますが正式には二月堂修二会「十一面悔過」といいます。修二会とは旧暦2月に行われる法会のことです。そのひとつとして実忠和尚がおこなったのが十一面悔過。これは、われわれが日常犯している過ちを二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の前で懺悔するという意味です。この法要が行われた古代、悔過というのは個人的なものではなく、国家や万民のための宗教行事でした。天災や疫病、反乱というのは国家の病気と考えられていたようです。そこで過ちを懺悔し、病気を取り除くことで鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽の実現を願ったのです。
国家や万民のための悔過となると法会に参加する人々もそれにふさわしい特定の集団と大がかりな儀式が必要となります。修二会では十一人の練行衆と呼ばれる僧によって執り行われますが、過去には最高26人までも参籠したという記録も残っているようです。練行衆は毎年12月16日、良弁僧正開山忌の時に東大寺別当から発表されます。自分の罪障はもとより、多くの人々の幸福を観音菩薩に願うのですから、厳しい修行が要求されます。本行は3月1日からですが2月20日からすでに前行が始まっておりますから、約1カ月にわたって普段の生活を断ち切った精進潔斎と厳しい修行の日々を送ることになるのです。
本行が始まるとニュースでは二月堂をめぐる大きな松明が映し出されます。見学の人々もこの松明が終わると帰る人が多いのですが、この松明は練行衆が二月堂に上がるための灯りで、行は松明が終わった後から始まります。毎日、深夜、日によっては明け方までさまざまな行が繰り広げられているのです。女性は外陣に附属した局と呼ばれる小部屋で、男性は外陣と礼堂まで入ることが許され、神秘的な行を身近に見ることができます。燈明の燃える匂い、音楽的な声明の響き、激しい五体投地の音、僧侶の沓の音、ほのかに見える堂内を飾る椿の造花、積み重ねられたお供えの餅など千年の時を超えて伝えられる激しくも不思議な行に接すると自然に手を合わせてしまいます。
有名な過去帳の読み上げの時は堂内に一瞬の緊張と期待が漲ります。過去帳読み上げとは聖武天皇以下歴代の天皇や功労者の名前を読み上げて菩提を弔うものですが、これには“青衣の女人”にまつわる逸話が伝えられているのです。鎌倉時代初期、承元年間(1207〜10に集慶という練行衆が過去帳を読み上げていると目の前に一人の女性が現れ「なぜ我が名を読み落としたるや」と言ったので、とっさに着ている衣の色から「青衣の女人」と読み上げたというのです。実際に過去帳を見ると源頼朝から18人目に「青衣ノ女人」と記されているとか。集慶が見たのは心を寄せていた女性を幻の中に見たのではという人もいて、この謎の女性の名は多くの人々の関心を誘います。読み上げる役の練行衆もここは心を込め、ゆっくりと読み上げます。厳しい修行の中のほのかなロマン、張りつめる冷気の中に温もりが感じられます。
粛々として進められるこの行に一度は接してみては如何でしょう。しっかりと防寒を整えて。
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