水無月、風待月、松風月、蝉羽月など6月は美しい名前を持っていますが、うっとうしい梅雨の季節でもあります。毎日、しとしとと降り続く雨は、日本列島が大きな水瓶にどっぷりと浸されたような気分にもなるものです。谷崎潤一郎、室生犀星、佐藤春夫など文学者には雨好きが多いようですが、しっとり陰影を含んだ情景は心のありようにも通じるのでしょうか。
以前に読んだ雑誌の中に目が見えない長男が、小学校に入学した時のことを書かれていました。雨の日、子供の手を引いて歩いていると、傘に降りかかる雨の音を聞いて「これ何の音?」と聞かれるのです。お母さんは「雨の音。傘に落ちる雨の音よ」と答えます。しばらく行くとまた「何の音?」「バケツの中にふる雨の音」と答えるのです。トタン屋根に落ちる雨の音、水たまりに落ちる雨の音、紫陽花の葉にかかる雨の音などなど。答えながらお母さんは、目が見えないことを不幸なことだと思っていた自分の了見の狭さに胸を衝かれるのです。「見えないと思っていたけれど、見えていなかったのは私だった」と。雨の音は全部同じだと思っていたのに、この子にはたくさんの雨の音が聞こえていたのですね。この日以来、お母さんの心は一気に晴れたのだそうです。このたくさんの雨の音を聞いていた子供は今、東京芸術大学音楽部で箏曲を学んでいます。見えているから見えないもの、聞こえるから聞こえないことが案外あるのかも知れません。雨の日、思い出す文章です。そして、ちょっと耳を澄ませてみようと思ってしまいます。
雨は降る場所にさまざまな音を聞かせてくれますが、心に残っているのが蛇の目傘に降る音です。山陰の旅館に泊まった時、町を散策しようとしたら、お天気なのに雨。“狐の嫁入り”という言葉がぴったりの鄙びた小さな町の小さな旅館の玄関には、蛇の目傘が置いてありました。油紙の匂いがする傘を開いて出かけたのですが、ぱたぱたと雨の音が弾けます。普通に使っている布の傘とは違う大きな音。雨のリズムが伝わって楽しくなりました。折りたたみもできず、細くもない和傘はめったに使うこともありませんが、もしかすると便利さと引き替えにこんなに楽しい雨の音を失ったのではないかしら。その後、和傘を手に入れて、時々差していますがなかなか雰囲気があっていいものです。雨の中、紫陽花を訪ねる時は蛇の目傘で、と楽しみにしています。
|