大峯奥駈道
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思い出の高原川
 二蔵宿からいよいよ大天井ヶ岳を経て山上ヶ岳へ向かいます。早朝、宿でいただいたお弁当は折箱いっぱいにご飯を詰め、梅干や昆布の佃煮、漬物というシンプルなものだそうです。二蔵宿の小休憩で約三分の一を食べ、次の五番関で残りを食べるとか。五番関の手前に大天井ヶ岳がありますが、ここを通る道に高原川が流れています。初めて奥駈けに参加した時、このあたりですでに脱水症状になっていた松井さんは川の水をがぶ飲みしたそうです。持っていたお弁当のご飯も水と共に流し込んだと懐かしそうに話されます。口の中まで渇いて、とても噛んだり、飲み込んだりできなかったのだといいます。今年は台風の影響で山が崩れ、景色が変わってしまったそうです。

女人結界のこと
 そんなことを思い出しながら五番関へ到着。ここからは女人禁制ですから、女性は洞川へと下り、別れます。昭和45年に青根ヶ峰の女人結界がここまで後退しましたが、一部で女人結界が無くなったと報道され、誤解を受けました。今でもそう信じてくる人がいるようなのですが、ここからはまだ女人禁制。1300年、修行の場として女人禁制を守ってきたのは深い宗教上の理由があるからだといいます。
 以前、先達の方に女人結界についてお話を聞いたことがあります。修行で険しい岩山を登り、狭い岩場を巡るとちょうど苦しい陣痛を経て生まれることを経験するそうです。母が自分を産んでくれるまでの苦痛や、妻が自分の子供を産むまでの大変さを実感して、自然に感謝の気持ちに溢れ、大の男でも泣いてしまうとか。西の覗きでは身も縮むような恐怖を味わうのですが、そんな時、身近に女性がいると素直になれない、見栄を張って強がるから本来の素直な心になれないのでは、とのことでした。
 考古学の菅谷文則滋賀県立大学教授は、女人禁制は女性差別ではなく、女性をいたわった結果だと話してくださいました。かつて、山で生きることは危険と背中合わせでした。深い山に入れば、収穫もありますが山犬と呼ばれる狼に襲われることもあります。月々の生理がある女性がひとつの集団の中にいると血の匂いで襲われやすいというのです。その危険を廃し、女性を休めるために麓へ留めておくということから女人禁制がはじまったのではないか、とのことでした。女性が絶対に通ってはいけないというのではなく、嫁越峠と呼ばれるように嫁入りや火急の時には通ることができる抜け道も用意してあるのだそうです。それが宗教などと結びついて女人禁制ができたのでしょう。
  擬死再生が修験道の修行だといいます。男性にとって神聖な山は精神的脱衣場だと言えるのではないでしょうか。心おきなく涙と共に古い精神を脱ぐというのですから、存分にその苦痛と快感を味わっていただいたら、と思うのです。女性は男性を見送り、ひたすら待つのですが、これもひとつの修行です。山を見上げ、修行する人を思いやるというのも大切な行為だと思うのですが。
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