ぼくの小さい頃

身長はいたって低く、小学校の6年間、列の先頭を一度たりとも譲らなかった。
食が細く、味にうるさい。好き嫌いもいっぱいだった。中でも生野菜と魚は大嫌い。
アジの塩焼きや、魚の煮付けは最たるものだった。野菜のおひたしや、煮たものは大好きで・・・
とにかくワガママだった。
こんなぼくがシェフになるきっかけのお話。

小学校3年生の夏休みのこと。父に連れられて富山の叔母の所へ遊びに行くことになった。もっと小さい頃に行ったらしいのだが、その記憶はほとんどない。
大好きな電車に乗ったぼくはすでに上機嫌だった。
目の前に広がる海を楽しみに、僕達の旅は始まった。京都から富山まで、夏のワクワクでいっぱいだった。
ところが富山についたのは暗くなる頃だったので(疲れた)、期待していた海らしきものも見えず(閉口した)、古くさいバスにゆられ(ふてくされて)・・・古い家に着いた時には、完全に不機嫌だった。
その上、遠路はるばる来た甥に、叔母の出してくれたご馳走はなんと、ぼくの大嫌いな魚の煮付けだった。ぼくは簡単に絶望した。もうダメだ。しかし、叔母に促されたからか、子供らしい気使いからか、それとも匂いにつられたか、ぼくは箸をつけてしまったのだ。一口。一瞬・・・ビックリした!!そう。ぼくは簡単に感動した。すごい !! お魚バンザイ!!
その一口で、いともあっさりと、やはり簡単に、ぼくの好き嫌い病は吹っ飛んだ。
人生をかえた瞬間にぶちあたった。
だってホントに煮付けかと思うぐらいおいしくって、ごはんがツヤツヤして、柔らかくて、甘くって・・・。カルチャーショックだった。煮付け・ショックだった。叔母達の会話は全く耳に入らず、夢中で食べて、たべまくった。
あまりの勢いに、父は目を丸くしていた。
それから富山にいた4日間。
叔母がぼくに気を使って出してくれていた子供の人気メニュー。
焼き肉、ステーキ、ハンバーグ、カレーには(今考えると申し訳ないのだが)一切目もくれず、昼・夜、生野菜と魚ばかり食べた。そして、今までのぼくとは別人のように、(海に放たれた魚のように)遊んだ。日の出とともに起きた。
目の前の海で魚釣りをして、釣った魚にはもちろん朝食になってもらう。昼まで泳いで昼寝。銛で突いた魚。潜って獲ってきたサザエ・ウニ・アワビ。収穫にほくそえみながら、次の獲物を考える。太陽を感じながらの昼寝はまさに猟師気分満喫である。起きたらまた泳いで夕食の漁に出る。銛も棹もすでに欠かせないもののように思えていた。行きがけの木から、おもちゃにカブトムシを摂る。夜の仕事は花火師。これもなかなか上手だった。自分の才能と、この幸せな時間を十分楽しんだら、もちろん明日の漁にそなえて早寝。
そんな毎日を過ごし、魚が大好きになった。自分で捕った魚の味、格別だ。必死で獲った岩ガキ、贅沢に食べていた。
新鮮なものの美味しさを存分に味わった。調理の仕方も自然に学んだ。
海のにおいを胸いっぱいに吸い込んだら、ワガママ坊やがもうイナイことに気がついた。
11歳になる夏。ぼくはすっかりかわっていた。
帰るのが惜しくてしかたなかったが、次の年から毎年来ようと誓って、富山を後にした。そしてぼくはこの誓いを実行できたのだ。簡単に。中学3年まで、毎年遊びに行った。そして食べた。
海の幸の素晴らしい美味しさに・・・いつからか、誰かに食べてもらいたいと思うようになった。
この頃の好き好みが、シェフになった今もつづいている。今でも忘れられない思ひ出。
もちろん魚の煮付けは得意メニューである。
それと忘れられない味は叔母の手づくり野菜。
魚だけでなく、野菜もたくさん食べられるようになった。