星野之宣先生の 「宗像教授・飛鳥取材記」 平成12年5月2日
『 藤原宮跡 』

幼稚園児が戯れる藤原京跡。ここは子供達の恰好の遊び場になっている。

辺りを軽く歩きまわられ、撮影ポイントを探しておられるご様子の星野先生。

距離をとりながらポイントを決めパチリ。すると、巨匠の取材気配を察してなのか・・・

子供たちを引き上げさせる引率の先生。誰も居なくなりました。(同ポイントより)

藤原宮の案内板。これによると天皇の出御する大極殿は8階建ビルの高さの建造物だったそうです。

同じ位置より案内板と木立を撮影したもの。今回の作中で、この構図は使用されるだろうか。

同じく案内板を離れて収録される星野先生。頭の中ではもう作画の構図が浮かんでいるのだろうか。

同じように色んな角度から撮っていると画面の隅に星野先生が!ああっ!センセ、待って下さいよぉー!

本誌記者Eの願いも空しく、どんどん先へと向かう星野先生。早い、追いかけるのがやっとだ。

木立の中ほどに石柱で囲まれた大樹があった。藤原宮の御神木なのだろうか。

大樹に囲まれた中に記念碑が立っている。早速カメラに収める星野先生。

これは"持統天皇"と"文武天皇"の藤原宮跡を示している記念碑。何だか形がオベリスクのようだ。

北側に位置する入口に立ち撮影する星野先生。ここからは藤原宮跡を一望する事ができる。

これだけでも広い跡地だが、当時はもっと広大であった藤原宮。天武天皇は何を想い都を計画したのか。

「 取材記 」へ