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争点を隠しているのは誰か

 10月22日の産経新聞は、「安倍副長官『土井、菅氏ら間抜け』」、「社民・民主反発『補選の争点ぼかし』」と言う見出しで次のように報じていました。

 
「安倍晋三官房副長官が、社民党の土井たか子党首や民主党の菅直人前幹事長を『まぬけ』と名指しで批判するなど、かつて北朝鮮よりの発言を繰り返していた政党や議員のあり方を問いただしている。これに対し、民主党や社民党は『補選の争点をすり替えようとしている』と反発するが、・・・」

 民主党や社民党は「争点のすり替え」と批判していますが、政治家が北朝鮮の拉致事件について意見を述べたり、対立候補を批判することがどうして「争点のすり替え」になるのでしょうか。今のわが国にとって北朝鮮の拉致問題は最大の政治問題と言っていいと思います。拉致事件について何も意見を言わない候補者がいるとしたら、その方が非難されるべきではないのでしょうか。

 一体、選挙の争点とは誰が決めるのでしょうか。争点とは自民党に不利なことだけに限られ、野党に不利なことは争点にしてはいけないというルールでもあるのでしょうか。
 野党の政治家が批判に対してこのような反応を示すのは、選挙の争点とは与党、自民党に不利な問題に限られると考えているからではないのでしょうか。確かに今までのマスコミ報道を見るとそういう傾向がありました。マスコミにより、森首相の「神の国発言」とか、「政治倫理の問題」とかが、いつも選挙の争点であるとされてきました。自民党に不利な材料がない時は争点のない選挙だと言われていました。

 争点とは議論の的になっている政治問題、国民の関心の高い問題であるべきだと思います。そういう観点に立てば、総理大臣の靖国神社参拝の是非、歴史教科書問題、在日外国人の地方参政権問題、夫婦別姓問題などは、当然選挙の争点になって良い問題だと思います。それらが選挙の争点になって議論が白熱すれば、国民の選挙への関心も高まり投票率が上昇することは確実だと思いますが、どういう訳けかこれらの問題は選挙の時に争点になりません。議論が行われるのはいつも選挙が終わってからです。

 10月22日の読売新聞は、
「自民幹部、遊説呼ばれず」、「怖い無党派 自信失う」と言う見出しで、今回の統一補選で有権者の関心が低く、自民党の幹部がほとんど遊説に出ないと言う実態を報じていました。選挙は形骸化し、無意味なものになりつつあります。 選挙の都度投票率が低迷し、世論調査をすると無党派層が半数を占めるほど政治に対する不信が高まるのは、選挙戦で政治家が国民の関心事に対して何も語らないからだと思います。

 政治家が国民の関心事ついて何も語らないのは、国民の関心事が何であるかが分かっていないからだと思います。そして、政治家が国民の関心事が何であるか分からない原因の一つは、マスコミが選挙の時に争点を隠しているからだと思います。そして、マスコミが争点を隠すのは、選挙の結果自分たちの主張が国民の多数意見でないことが明らかになることを怖れているからだと思います。

平成14年10月23日     ご意見・ご感想は こちらへ     トップへ戻る     目次へ