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自民党支持者はマスコミに抗議してはいけないのか

 自民党が不適切なマスコミ報道に抗議する「報道モニター制度」の創設を決めたことについて、日本民間放送労働組合連合会が、同制度に対して抗議し、撤回を求める委員長談話を発表しました。
 談話は「放送に対する苦情や訂正要求は各放送局の視聴者センターや『放送と人権等に関する委員会』を利用すれば足り、『ことさら組織的に放送局に『協議・抗議・告訴』するような制度の創設は理解に苦しむ」と言っていますが、視聴者が放送に関して抗議する場合、抗議の対象者(放送局)の中にある窓口や、業界の機関だけでは十分とは言えないと思います。銀行に対する苦情処理機関として、銀行内あるいは銀行協会内にある窓口だけでは十分と言えないのと同様です。たとえ、放送局側から見て十分だとしても、それでは不十分だと思う視聴者が、それ以外の外部機関を作ることに何か不都合があるでしょうか。

 談話はさらに「抗議などの申し入れに対しては毅然とした態度をとるべき」と言っていますが、これは自民党支持者からの抗議についてのみ言っているのでしょうか。それとも放送局はあらゆる視聴者からの抗議について毅然とした態度をとるべきと言っているのでしようか。もし、前者であればそれは自民党に対する不当な差別であり、後者であれば公共の電波を使って営業している民間のサービス業者として傲慢であると思います。
 かつて共産党、社会党、官公労組などの団体は、組織的にNHKの報道番組に抗議していた歴史があります。自民党員が不適切と思う報道について、報道機関に抗議したり、告訴などの法的手段を執ることがなぜいけないのでしょうか。

 10月16日の京都新聞紙上で立命館大学の桂敬一教授は、この自民党のモニター制度について、「形を換えた検閲制度、ファシズムではないか」、「市民の側から『これではいけない』とメディアを監視する動きが出てくれば、それは正しいことだが、この制度は自民党が自分たちの思い通りにメディアを支配しようとするものだ」と言っていますが、市民とは誰のことを言うのでしょうか。自民党員や自民党の支持者は市民ではないのでしようか。検閲とか、ファシズムと言うなら、神戸の少年事件の際に見られた「文芸春秋」や「新潮45」に対する組織的な出版妨害や販売妨害、図書館での閲覧妨害の方が検閲、ファシズムだと思います。

平成10年11月4日     ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る     A目次へ