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新聞と“公共性”の欺瞞-新聞と消費税-


 6月22日の読売新聞は、「メディアの公共性考える 東京でシンポ」という見出しで、次のように報じていました。
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 「ニュースや知識をどう支えるか——ネット時代にメディアの公共性を考える」と題する公開シンポジウムが21日、東京都内で開かれた。
 日本新聞協会の主催で、パネリストとして、片山善博・慶応大教授、斎藤孝・明治大教授、ジャーナリストの津田大介氏、小川一・毎日新聞東京本社編集編成局長が参加。インターネット利用者が増える中、メディアの役割などについて、活発な議論が行われた。
 まず斎藤氏は「
新聞はあらゆる情報を網羅している」と述べ、新聞が持つ一覧性の重要さを指摘。津田氏は「ネット検索は最近の情報しか出てこない。新聞のデータベースサービスを使えば、かなり有用な情報が調べられ、効率のよい検索エンジンになると思う」と語った。
 また、消費税増税時新聞への軽減税率の適用について、小川氏は「知る権利に対しては、優遇税制をかけるべきだ。それが文化を下支えする」と述べ、片山氏は「新聞がなくなると、権力監視など、民主主義を支える重要な要素がなくなってしまう。税制の特別措置はあってしかるべきだ」と強調した。
 
 写真=シンポジウムで意見を述べる(左から)片山善博、斎藤孝、津田大介、小川一の各氏(21日)
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 記事は新聞とインターネットを比較して新聞の優位を強調していますが、どちらが優れているのか、あるいは一長一短なのかは自由競争の市場で消費者が判断し結論を出せばいい問題で、学者が結論を出すべき問題ではありません。

 この記事を書いた読売新聞の意図はメディア(と言っても
新聞のこと)に消費税の軽減税率を適用すべきだというところだと思います。新聞の公共性がその理由のようです。

 それではその
“公共性”とは一体何なのでしょうか。世の中には様々な業種があります。製造業、サービス業、一次産業とさまざまです。新聞には公共性があって、それ以外には公共性がないという根拠があるのでしょうか。

 我々が生きていく上で必要不可欠である事が公共性でしょうか。そうであれば、まず農業、食品産業などではないでしょうか。我々は新聞なしでも生きていけますが(現に新聞を購読していない人は少なくありません)、食事をしないでは生きていくことができません。

 そこまでさかのぼらなくても、重要性の高さで言えばエネルギー関連の産業は公共性が高いと言えるのではないでしょうか。例えば発電、石油関連(ガソリンスタンドを含む)などです。ガソリンスタンドがなくなったらすべての自動車が動かなくなり、当然新聞輸送もできなくなるわけですから、その公共性の高さは新聞の比ではありません。
 そうすると、ガソリンスタンドは消費税を軽減すべきという話になってくるのでしょうか。しかし、新聞紙上でそのような意見が紹介されたことはありませんし、当の石油業界でもそんなことは言っていません。

 一体、読売新聞は
何を根拠に新聞の公共性を主張し、軽減税率の適用を求めるのでしょうか。「知る権利に対しては優遇税制がかけられるべき」とか、「新聞がなくなると、権力監視など、民主主義を支える重要な要素がなくなってしまう。税制の特別措置はあってしかるべきだ」などと言っていますが、なぜそういう理屈になるのか全く説明がありません。

 「知る権利」とか、「権力の監視」と言っているあたりに本音が隠されていると思います。自分たちの仕事は知的頭脳的高級な仕事だから税率は低くあるべきだと言っているのではないでしょうか。しかしそれは
「公共性云々」とは全く別の主張です。

 こう考えてくると、結局、読売新聞の主張は「公共性」の主張ではなく、新聞という業種は頭脳的で高級な仕事なので、税金を軽減しろという単なるエゴに過ぎないと考えられます。「公共性」は単なるエゴの隠れ蓑に使われている言葉に過ぎません。消費税を軽減しないと新聞がなくなってしまうかのごとき言い方は、
甚しい論理の飛躍です。

平成25年6月25日   ご意見ご感想は こちらへ   トップへ戻る    目次へ