A165
何故、無党派層が増えるのか
5月19日の読売新聞は、「増える無党派層 イデオロギー失う政党」という見出しで、次のように報じていました。
--------------------------------------------------------------------------------------
[地球を読む]増える無党派層 イデオロギー失う政党
2014年5月19日3時0分 読売新聞 (猪木 武徳 青山学院大学特任教授)
数々のメディアがいわゆる民意を探るための世論調査を行ってきた。その中で「支持政党なし」と答える人の割合が驚くほど高くなっている。日本に限らず、多くの自由主義国家で、「無党派層」と呼ばれる有権者が半数を占めるようになってきている。
調査対象者のサンプリングは無作為となっているが、調査方法(例えば電話)や調査時間の設定自体が、すでに対象者を「その日のその時間帯に連絡の取れる人」に限定してしまうため、純然たる無作為とはみなし難い。だが、そうしたバイアスを認めても、「支持政党なし」の割合が回答者の半数近く(あるいはそれ以上)を占める事実は、政党政治というものを根本から考え直す必要性を示唆しているように見える。
回答率が50%程度で、その回答者の半数が「支持政党なし」であれば、政党や政策に対する真の民意の 在処ありか を推量するのは容易ではない。
世論調査の質問に「わからない」「どちらとも言えない」と回答する人の多さにも驚かされる。確信をもって賛否を表明できないほど、政策内容が複雑になってきていることもあろう。
「支持政党なし」と答えるのは、男性より女性、20代、30代の若者に多く、政治が自分の生活にさして影響を及ぼすものではないという冷めた政治観を持っている層だ。ひとつの政党に肩入れできないのは、「思い込み」や「思い入れ」のない人が多いのではないか。イデオロギーを軽信しない人びととも言えよう。
こうした「無党派層」は世の中の動きに無関心なのではなく、懐疑主義を私的信条とし、政党の打ち出す政策のすべてに全面的な賛意を示すことができない慎重な人びとなのだろう。
〈以下は「無党派層」と直接関係ないが、そのまま引用〉
しかしそうした慎重居士だけでは政治は動かない。「よい私人、必ずしもよい公人にあらず」なのだ。公の事柄に関心を 懐いだ く市民が多数とならない限り、リベラル・デモクラシーの下での政党政治は共同の利益実現の装置としては機能しない。
こうした傾向は、昨年暮れに厚生労働省が発表した全国の労働組合の推定組織率(雇用労働者に占める組合員の割合)が17・7%となり、1947年の調査開始以来の最低水準を更新した事実と無関係ではあるまい。これまで政党にとって確実な「票田」であった業種や職種の集団や中間団体の多くが、概してメンバー数を減少させている。日本の場合、その典型例が労働組合と農業協同組合なのである。
政治 根本から見直す時
労働組合は、労働者の自由な決定によって組織化された労働者の独立組織である。その設立目的は、労働条件に関し「個別にではなく、組織としてのみ」使用者と交渉することにある。ひとりで使用者と掛け合うには、労働者はあまりにも弱いからだ。この「一人の無力さ」を克服する手段として労働組合は誕生した。
デモクラシーの下では、人々が次第にバラバラにアトム化(孤立化)して私的世界の殻に閉じこもり、豊かな社会のなかで、公益の実現(つまり政治)には無関心になるという問題が 夙つと に指摘されてきた。
それ故に、人々の身辺の具体的課題に取り組む地方自治体や結社(中間団体)を一国の政治システムに組み入れることによって、単なる「私人」を、共同の利益を考える「公民」へと転換する必要性が強調された。現代の産業社会では、そうした中間団体の代表例が労働組合だった。
政党が直面する問題は労働組合の抱える問題と極めて近い。今日の政党はイデオロギー性を失い、「共通の政治目的を持つものが組織する団体」という性格を弱めつつある。
政党は元来、その理想型としては名誉や徳目による結合を目的としていたが、工業化の進展に伴って、経済的な利益や関心を共にする集団として機能するようになった。その「利益や関心」すら、メンバー間で共有できないとなると、政党の存在意義が弱まることは避けがたくなる。
では、デモクラシーを保持しつつ、統治システムをいかに修正すればよいか。これこそ現代国家が長期的に大所高所から検討すべき大きな課題のひとつなのだ。デモクラシーにおける政党政治は、議会、すなわち立法府が強い方向付けを行い、その方向に従って行政府がその政策を実行するのが原則と考えられてきた。
しかし政党の数が多くなると、 自おのずと「合従連衡」が起きやすく、政党間の取引も盛んになり、方向付けは難しくなる。それだけではない。近年のように、政党ごとの政策や主張に大きな違いが見られなくなると、政党と政策を結びつける論理が不確かになり、イデオロギーで賛否を割り切った時代と異なり、国民の判断力は鈍り、「政治選択からの逃避」を招きやすい。
憲法改正問題でも、古いイデオロギーを掲げる政党は 措お くとして、「自由」に価値を置く政権与党内でも意見が割れてしまうほどであるから、国民にとっての支持政党の選択はますます難しくなる。そのために無党派層が流動化し、議会に不安定要素を持ち込むだけでなく、予期せぬ方向へと政治を追い込む可能性が高まる。公職選挙で無党派層が国民の人気者に投票することが、意図せぬ結果をもたらすことは歴史が示す通りである。
とくに小党が乱立する場合は、議会で相対的多数を占める政権党といえどもリーダーシップを発揮することは難しい。そもそもデモクラシーとリーダーシップの両立は本来容易ではないのだ。民主制社会の人間は、皆、他人は自分とさして変わらない程度の人間だとみなしがちであるから、リーダーへの敬意や憧れは生まれにくい。したがってリーダーは調整型になり、理念で人を強く引っ張るようなカリスマ的指導者は出てこなくなる。
専制ではなしに、強いリーダーシップを実現できる統治体制は、国民の直接投票で選ばれた大統領が強い行政権力を持つフランス第5共和制のような体制だと言われることがある。しかしフランスがこの体制でうまく国家的危機を乗り越えられたのは、ドゴールという 智徳ちとく に秀でた、謎多いカリスマ性のある政治家を頭に 戴いただ いていたからである。
「無党派層」と呼ばれる有権者の増加に歯止めをかけるためには、単なるリーダーシップ論や英雄待望論ではなく、長期的視点から政党政治そのものを根本から見つめ直す必要があろう。憲法改正を討議する国会の憲法審査会で、こうした政党の変質問題についても長い目でじっくり議論されることを望む。
◆猪木武徳氏 1945年生まれ。大阪大学経済学部長、国際日本文化研究センター所長を歴任。主著に「戦後世界経済史―自由と平等の視点から」「ホワイトカラーの人材形成 日米英独の比較」など。
-------------------------------------------------------------------------------
「何故、無党派層が増えるのか」、外国のことは分かりませんが、我が国について考えれば理由ははっきりとしていると思います。それは有権者にとって政党の主張、違いが明確でないからだと思います。
現在の日本には解決すべき諸問題が山積していますが、日本が自由で公正な民主主義国家であって、国民の意見・意識が多様であれば、本来政党は多様であるはずです。そして、国民の支持政党も多様なはずで、支持政党なしというのは、特殊な考えの持ち主か、知能程度に問題のある人などごく少数に限られるはずです。
それにもかかわらず、無党派層が多数なのは、国民と政党との結びつきを妨げている原因があるはずです。
記事は「イデオロギー」にその原因を求めていますが、そうではないと思います。過去に於いて主要な争点であったイデオロギーをめぐる問題に決着がつき(社会主義、共産主義の敗北に終わり)、それが争点にならなくなったからと言って、国政の懸案事項や争点がなくなったわけではありませんから、イデオロギーの喪失に無党派層増加の原因を求めるのは当たらないと思います。
「無党派層」が増えたのは、1.諸問題の存在、その原因に関する情報が国民に伝えられていない、2.諸問題に対する国民の意見・意識が政党(政治家)に伝えられていないため、政党(政治家)が国民の意を受けた行動を取れない、3.政党(政治家)の考え、実績が国民に知らされていない、などと言うところに原因が求められると思います。
例えば少子化問題について、マスコミは問題の現状とその原因に関して、必要な情報を国民に伝えているとは言えません。少子化の主な原因は結婚しない人が増えたことで有り、共働き夫婦が養育負担が加重であるが故に、子供を産まなくなったことでは無いにもかかわらず、マスコミは少子化対策として共働きの妻達を経済的に支援する必要があるという、共働きの妻達の意識・意見しか報じず、真の原因を隠しています。
またこの問題に関して、マスコミが伝える国民の意識・意見は共働きの妻達の意見ばかりで、専業主婦や未婚の男女(成年・未成年、年齢を問わず)の意見は、全く報じられることがありません。共働き所帯以外の国民の意見・意識を政党に伝えていません。
報じられているのは、共働きの妻・所帯を経済的に支援すべきと言う、ただ一つの意見だけで有り、異論の存在や論争の存在を隠し、完全に封じ込めています。
従って政党は少子化問題について、何が問題なのか、何が論点なのか、国民がどう考えているのか何も認識することなく、有権者にアピールする明確な提案をすることが出来ません。
従って、少子化問題は喫緊の課題と報じられることはあっても、選挙の時に争点として議論されることが全くありません。選挙以外の時でも、このような状況下で少子化問題について、どの政党を支持するかと言っても、答えられるはずがありません。支持政党なしと答えるほかはありません。
今、大きな問題になっている配偶者控除見直しの問題も同様で、制度廃止を選挙で訴えた政党はなく、どの政党がどういう主張をしているか不明です。選挙で争点の一つになっていれば、当落への影響は少なくなかったと思います。
少子化問題、配偶者控除の問題は一例に過ぎません。中国・韓国をめぐる外交問題でも、公務員のあり方や処遇に関する問題でも、司法の暴走の問題についても、日本が抱えている問題のほとんどすべてについて政党が立場を明確にすることがなく、選挙の際には争点とされることもなく、議論されることすらなく、各政党の候補者は当たり障りのないことしか言いません。 これでは有権者に支持政党を答えろという方が無理というものです。支持政党なしと答えるほかはありません。
無党派層を作っているのは必要な情報を隠蔽しているマスコミ自身です。マスコミは各政党が独自の主張を展開し、国民の多数意見が政治に反映することを恐れているのです。日本のマスコミは国民と政治の間の障壁となって、民主主義の実現を阻止しているのです。
平成26年5月23日 ご意見ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ