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放送事業者に「表現の自由」はない、有るのは「国民」の「表現の自由」である −「国民」=「放送事業者」ではない−

 5月9日のNHKニュースは、「民放連 国民投票CMの量的な自主規制行わない方針」という見出しで、次のように報じていました。
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民放連 国民投票CMの量的な自主規制行わない方針
2019年5月9日 12時30分憲法 NHK

 衆議院
憲法審査会が開かれ、国民投票に伴うテレビ広告の規制をめぐって、民放連=日本民間放送連盟は、法規制に慎重な立場を示すとともに、テレビ広告の量的な自主規制は行わない方針を改めて示しました。

 国民投票に伴うテレビ広告をめぐっては、野党側が
資金力のある政党などに有利にならないよう規制を求めていることを踏まえ、衆議院憲法審査会は9日、民放連=日本民間放送連盟の代表者から意見を聞きました。

 この中で野党側は、立憲民主党の枝野代表が「民放連がテレビ広告の量的な自主規制をするなら法律で規制しなくてもいいが、そうでなければ国民投票法自体が欠陥法だと言わざるをえない」と指摘するなど、
規制強化を訴えました。

 一方で民放連は「
放送事業者表現の自由に法令で規制をかけることは望ましくないというのが私どもの一貫した立場だ」と述べ、法規制に慎重な立場を示すとともに、テレビ広告の量的な自主規制は行わない方針を改めて示しました。

(中略)

立民 枝野代表「
自主規制ないなら、今の国民投票法は欠陥法

 立憲民主党の枝野代表は、党の代議士会で、「国民投票法は、民放連が『
自主規制により、量的なバランスをとる』と明確に答えたので、法規制をせず、与野党が一致して作った法律だ。それが違うのであれば、今の国民投票法は、明確な欠陥法で、もう一度、『自主規制がない』という前提で議論しないかぎりは、国民投票はできない」と述べました。

 そのうえで、枝野氏は「自民党が違う意見なら、当時の立法担当者として、私を参考人として、憲法審査会に呼んで、反対尋問をしてほしい。自民党の船田元氏も呼んで、話を聞いてほしい。それがないと物事が進まない」と述べました。

国民 原口国対委員長「
重視しているのはスポンサー

 国民民主党の原口国会対策委員長は、記者会見で、「CM規制は幅広い定義になるが、特に重視しているのはスポンサーだ。憲法の議論をするのに
他国の方がスポンサーになっていいのか。他国の影響を受けた憲法を容認できるわけがない。私たちの法案を提出し、しっかり議論するということを与党も理解していると期待している」と述べました。

(以下略)
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 国民投票に伴うテレビ広告の規制問題は、
「放送事業者に表現の自由があるのか」と、「外国人がスポンサーになって良いのか」という2点だと思います。

 さて、日本
国民には憲法で「一切の表現の自由」が保障されていますが、放送事業者などの“マスコミ企業(業者)”にも同様な自由が保障されていると考えて良いものでしょうか。

 新聞・テレビなどの
マスコミ業者の業界が、完全に自由で公正な競争市場で、国民すべてに、平等に業界に新規参入の道が保障されているならば、業者=国民と考えて良いと思います。

 しかし、現実には
テレビ放送業者の業界は「免許業界」です。免許を与えられているのは、特定・少数の業者で、彼等は放送免許を得て、無償で、無期限無条件テレビ放送をすることが出来ますが、それ以外の者は、全く権利も、権利を得る機会も有りません。甚だしい不公平、不平等な世界です。
 もちろん、免許を得ているものは
単なる一法人であって、いかなる意味でも国民の代表ではありません。今、考えればなぜ彼等に免許が与えられたのか経緯が明らかではありません。

 このように状況の下で、免許を得ていると言うだけで、単なる一企業に過ぎない
業者等に、無条件・無制限の表現の自由を認めれば、それは免許を持つ者以外の国民の自由を制限する結果となる可能性があります。

 そのような点を考えると、
放送業者に無制限・無条件の「表現の自由」が有るとは到底考えられません。すべての選択肢に対して、「公平」である事が当然求められると思います。そして、これは国民投票に限ったことではなく、放送すべてについて言えることです。放送においては、「自由」よりも「公平」が優先する基本理念です。何が「公平」であるかは、別に議論が必要です。

 NHKが選挙の度に、
第一党の自民党から泡沫政党レベルの社民党や自由党にまで、討論会などにおいて同一の発言機会を与えているのは、やり過ぎではありますが「公平」の理念を優先したものであると言えます。

 放送と一部類似の
インターネットの世界は、放送と違い、「免許制度」が無く、すべての人に平等に新規参入の道が開かれています。従ってこの世界では、すべての発信者=国民と考えて、発信(表現)の自由が保障されていると考えて良いと思います。

 
新聞については、免許制度はなく事情が異なりますが、宅配紙新聞市場は流通に問題があって、自由で公正な競争市場では無いと言う点で、放送業界と同じですので、自由よりも公平の理念が優先されるベきだと思います。

令和元年5月11日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ