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地方新聞「フクニチ」の廃刊

 朝日新聞のホームページ、「メディアニュース」の中にある「新聞をひらく・わたしたちの現場から『経営──フクニチ新聞休刊』」に、九州の地方新聞「フクニチ」が1992年4月、休刊(廃刊のこと)に追い込まれた経緯について、書かれたものがあります。少し長くなりますが、引用します。

 フクニチは、戦後まもない46年4月、夕刊紙として誕生した。一時期は、全国で最も高い給与で知られる新聞社のひとつだった。福岡市を中心に15万部を誇り、500人以上の社員の生活を支えた時代もある。

 東京オリンピック開催を1カ月後に控えた64年9月、読売新聞が九州に進出する。東京から拡張だけを専門にするプロのセールススタッフが、大挙して九州に送り込まれてきた。

 同じ年、フクニチから朝日新聞に引き抜かれた販売部員がいる。65歳。西部日刊スポーツ新聞社で取締役をしたあと、新聞販売の現場を去った。

 「それまでの福岡は、朝日、毎日の全国紙と、ブロック紙の西日本新聞、地元紙のフクニチが、あまり過激な販売競争もせずに何となくすみ分けていた。そこへ読売がやってきた」と振り返る。

 「読売の販売方法で最も特徴的なのはプロのセールススタッフが来たことだ。それまで、福岡にはほとんどいなかった」

 対抗して朝日、毎日、西日本の3紙は、セールススタッフを育成した。フクニチから移った朝日で最初の仕事が、この育成だった。

 「大阪にあった読売のセールスチームに1週間潜り込んで、勉強したこともある」

 福岡、北九州両市で朝日、毎日、読売、西日本による販売競争が激化していった。74年7月、公正取引委員会福岡地方事務所が4社を立ち入り検査。その年の10月には、違法な販売をしないよう、4社に排除勧告している。

 この時期、フクニチだけが、一方的に部数を落としていった。1年間で1万部減った年もあるという。

 新聞業界のセールススタッフというのがどういう人たちか、誰もが知っていると思います。商品である新聞の中身についての説明など全くせず、ナベや洗剤などの景品を配り、あとは強引さと執拗さだけで購読を勧めていく営業です。
 新聞社にセールスマンがいて、このような販売競争を繰り広げられていて、それによって部数が左右される国が他にあるのでしょうか。新聞は内容によって売れ行きが左右されると言うのが常識だと思います。日本の新聞市場は異常です。同じメディアでも雑誌と比較するとよく分かります。週刊誌や月刊誌の定期購読契約を取るために、セールスマンが景品を持参して、強引に勧誘に歩くと言うことが考えられるでしょうか。
 紙面の内容に対する読者の支持とは無関係の、強引な営業活動によって発行部数が増減し、その営業活動の結果巨大部数を得た新聞が政治的影響力が増していく、これが日本の政治をゆがめている元凶だと思います。

平成11年4月25日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ