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 読売新聞は、最近の選挙について「SNSでの発信を駆使し、予想を上回る躍進を果たした」とあるが、それは新聞・テレビの予想が低すぎただけなのではないのか。

 11月19日の読売新聞は、「兵庫県知事選 真偽不明の情報が拡散した」と言うタイトルの社説で、次の様に論じていました。
茶色字は記事、黒字は安藤の意見
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[社説]兵庫県知事選 真偽不明の情報が拡散した
2024/11/19 05:00  読売新聞

 民主主義の根幹である選挙で示された民意は尊重されねばならない。

 だが、その民意の形成過程で、真偽不明情報がSNS上で拡散し、公正であるべき選挙が歪められたとすれば、ゆゆしきことだ。

 新聞(宅配紙新聞)・テレビの言う事は、総て真偽が明らか(総て真実?)なのだろうか。決してそうではない。彼らはすぐバレるような嘘を言うことはあまりないが、重要な事実を隠すことは日常的である。重要な事実を隠した上で主張することは、嘘を言っていることと変わりない
 一方SNS一部に嘘が混在していることは否定出来ないものの、宅配紙新聞テレビ
隠している多くの真実明らかにしているという巨大な“功”がある。

 兵庫県議会の全会一致不信任が決議されたことを受けて失職した前知事の斎藤元彦氏が、出直し選で返り咲いた

 不信任の発端は、斎藤氏のパワハラ疑惑元県幹部が内部告発したことだった。斎藤氏は告発を公益通報として扱わず、県幹部に調査を命じて元幹部を特定し、懲戒処分にした。元幹部は7月に死亡した。自殺みられている

 斎藤氏ら当時の県側の対応は、公益通報者保護法の趣旨に反していた疑いがある

 結果的には、彼は「内部告発者として保護する」べき対象ではなく、調査対象者(被疑者)だったと言える。知事の対応は間違っていない。間違っている部分があったとしても、形式的なものに留まる。

 知事選での斎藤氏の勝因は、県立大無償化などの実績が評価されたことなどが挙げられているだが、大きな原動力となったのは、斎藤氏の支持者によるSNSでの情報発信だったと言えよう

 失職直後斎藤氏は、他候補に引き離され再選は困難との見方が多かった。しかし告示後、SNS上に「斎藤さんは悪くないといった投稿増え始めた

 斎藤氏を擁護するため、亡くなった告発者名誉を傷つけるような発信が相次ぎ、斎藤氏支持の論調ができた。

 
告発者」に不正行為があればそれを指摘するのは当然の行為であり、その結果「名誉」が傷つけられても自業自得でしかない。読売の“名誉毀損”の指摘発信者名誉を傷つけている。

 自分の当選ではなく、斎藤氏を当選させると公言して、政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が出馬し、その種の情報を発信したことも、斎藤氏の熱烈な支持者を生んだようだ

 その結果、公益通報を巡る本質的な議論かすみ斎藤氏擁護の声が大きなうねりとなった。

 問題の本質は有りもしなかった“公益通報”に対する県の対応の当否云々ではなく、本質は「パワハラ」云々でっち上げ、斎藤知事を陥れようとした“告発者”などの公務員、議員達の行動と、「百条委員会」、「不信任決議」の妥当性格上げされたのである。

 7月の東京都知事選や先の衆院選でも、特定の候補や政党がSNSでの発信を駆使し予想を上回る躍進を果たした。

 「SNSでの発信を駆使し、予想を上回る躍進を果たした」とあるが、誰の予想」なのか。SNSを無視する新聞・テレビ業界予想が低すぎたのではないのか。
 新聞・テレビSNSでは、どちらが正確に民意を掌握・反映するか、考えたことはないのか。

 SNSの情報は虚実入り交じっているだけでなく、広告収入を目当てにしたかのような無責任な投稿も少なくない

 新聞・テレビは広告収入を目当てにしたり、閉鎖的な記者クラブでの「官(公務員)」との癒着・ご機嫌取りなどの無責任な・取材・編集は日常のことではないのか。

 選挙で相手候補を 貶しめることを狙ったような投稿に影響されて民意が形成されることになれば選挙の公平、公正さを保てず、民主主義の危機を招く。各政党は、国会でSNSと選挙のあり方について議論を深めるべきだ。

 SNSの市場は民間の健全な自由競争の市場であり、その意味では一般的に多数意見多数意見として存在感を明らかにすることができる世界である。
 反面、言論の自由は誰でも自由にものを言える社会である為、その中に「嘘・偽り」が紛れ込む余地がある事は否定出来ないが、SNSの利用者はそれを見分けることができる。反論することがあれば反論の投稿をすることが十分可能である。
 SNSは多くの人が言いたいことを
自由言え、それを世論として反映できる点を評価して守っていくべきであり、「嘘・偽り」の部分だけに着目して、SNSを規制・排除する道に走るのは、結局言論の自由を否定する事にしかならない。

 一方宅配紙新聞市場は長年にわたり(少なくとも戦後79年間全国紙、地方紙とも新規参入がゼロ廃業も皆無)で市場経済原理が働かない寡占下の市場であり、テレビ放送業界は国の免許制度下で、数が限られたテレビ放送企業のほとんどが宅配紙新聞企業の系列下にあり、しかも地上波放送衛星放送重複認可という、自由競争とは相容れない環境下にある。新規の免許交付による新規参入営業不振による廃業はほとんど無い。
 これは読者・視聴者自由に意見を述べたり、また多数意見紙面・番組に反映する健全な市場環境とは到底言えない世界である。彼らは各地の役所内閉鎖的「記者クラブ」を設置して“官”からの情報を独占、その見返りに情報操作世論操作をしまくっているのである。
 その中でSNSが彼らの“独占”と“操作”を
脅かす存在として成長してきたのである。

 一読者読売新聞紙面で、一視聴者日本テレビ、読売テレビ番組意見を述べたいと思っても、それは不可能である。それが可能なSNS不可能な宅配紙新聞テレビ放送とを比較して、どちらが言論の自由に貢献しているかと言えば、言うまでもなくSNSである。

 宅配紙新聞が実現しているのは、新聞社の言論の自由ではあっても、読者の言論の自由ではない。宅配紙新聞の意見は読者の代表意見ではないし、多数意見を反映したものでもない。朝日新聞の「」や、読売新聞の「気流」などの投書欄は、新聞社が選別した一読者の意見であって、多数意見ではない。それ以前の問題として「声」「気流」読んでいる読者ほとんどいないと思われる。

 県民の信任を得たからといって斎藤氏の疑惑消えたわけではない。県議会の百条委員会や県の第三者委員会は、公益通報に関する調査を続けている。斎藤氏に問題があったという結論が出たら誰が、どう責任をとるのか。

 それを言うなら「公益通報」の結論を出さないで、不信任を可決した県議会とそれを批判しなかったマスコミ各社の責任を先に問うべきだ。もし、斎藤知事が選挙に立候補を断念して(あるいは選挙で敗れて)、選挙で新知事が決まっていたら、百条委員会は結論を出さず空中解散していただろう。そうなることを県庁の官僚、県議会議員、マスコミ達が見越して願っての「結論前の不信任決議」だったのだ。

 それが彼らの
望んでいた結果にならず、斎藤知事が再選された結果となった今の段階になって、なお「斎藤氏に問題があったという結論が出たら」とは、厚かましいにも程がある。不信任成立後の斎藤氏の再任(立候補・当選)がなく、百条委員会の結論が出されないで終わることを見越して(願って)、それを前提としていた読売の、当てが外れた事に対する八つ当たりに過ぎない。

 知事選挙の結果が有効
であることに変わりは無い。もしどうしても何かをしたければ、百条委員会の活動を再開して
斎藤無罪”の結論を得るか、そうでなかったら再度「不信任決議」を提案すれば良い。多分今度は“官・マス癒着”チームは議員の支持を得られず、不成立に終わるだろう。

 読売新聞は今まで経験したことのない“官・マス癒着”チームの敗戦正気を失ったように見える。
  口先だけの「民意」尊重は意味がない。

令和6年11月20日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ


令和6年11月25日 追記

 記事の中には、アンダーラインを引いた、下記の様な言葉が多数使われていますが、いずれも曖昧・漠然とした言葉が多く、記事全体の曖昧・漠然性、非論理性に繋がっています。

「不明の」、「とすれば」、「疑惑」、「みられている」、「疑いがある」、「などが挙げられている」、「と言えよう」、「見方が多かった」、「といった」、「増え始めた」、「ような発信」、「論調」、「ようだ」、「かすみ」、「うねり」、「駆使し」、「予想を上回る」、「かのような」「少なくない」、「ような」、「なれば」、「議論を深める」、「消えたわけではない」、「結論が出たら」