A295
新聞は、新聞社の社員が意見を述べる場ではないはずだ。 -目に余る紙面に溢れる社員達の意見の氾濫-

 1月11日の読売新聞の紙面に、下記の4つの記事がありました。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------
A295-3


A295-4


A295-5


A295-6


---------------------------------------------------------------------------------------------------------
 この記事に共通することは、記事とは言っても通常(本来)のように、記者が取材したことを、読者に特定の立場、思想に偏ることなく公平・中立に知らせると言うものでは無く、記者自身が自分の考え方、意見を述べているということです。

 報道とは何かと言えば、新聞社の社員が、取材した事実を紙面で報じることです。その事実について取材した者が、自分の意見を述べることは、報道から逸脱しています。
 新聞社の社員が取材の有無にかかわらず、自分の意見を紙面で述べることは、逸脱どころか新聞社の社員の業務に反していると言うべきです。

 新聞に限らず、報道企業(テレビを含む)の社員は公平・中立の立場を堅持すべきで、唯一意見を述べることが許されるのは、「社説」のみであるはずです。
 読者が求めているのは、公正・中立の立場を堅持した多様な情報の提供です。意見を報じるべきは、社外の専門家を始めとした、多様な意見であり、国民の多数意見、少数意見であり、新聞社員の意見ではないはずです。新聞社員は国民の代表でも読者の代表でもありません。

 一方で読者の様々な意見広く報道されるべきですが、読売新聞は完全にその道を塞いでいます。読者の声が出ているのは「気流」欄(下記)だけです。

A295-7



 しかし、この欄は読者の声を報じていると言う新聞社の言い訳のためにあるだけで、全く読む価値がなく、ほとんどの読者は誰も読んでいないし、そんな「欄」がある事さえ忘れているのが実情だと思います。新聞社も読者の反応を求めておらず、それを期待していません。

令和8年1月15日   ご意見・ご感想は こちらへ   トップへ戻る   目次へ