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西村次官に対する朝日新聞の「即決処分」

 西村防衛政務次官が、核武装をめぐる週刊誌「プレイボーイ」(10月19日)誌上での発言により、辞任を余儀なくされました。この問題を報じた10月20日の朝日新聞には、「西村防衛政務次官更迭へ」、「雑誌で核武装発言」と言う見出しの記事が1面トップに出ていました。ニュースの順序から言えば、「発言」が先で「更迭」はそのあとのはずですが、見出しは「更迭」が先で活字もこちらの方が大きくなっていました。読者が西村政務次官の核武装をめぐる発言を知ったときには、もう更迭の結論が決っていた事になります。そんなに早く決まるものなのでしょうか。また、そんなに早く決める必要があるものなのでしょうか。

 記事の冒頭の部分で

「首相は今月末に召集される臨時国会を控え、西村氏の更迭によって事態の早期収拾を図る考える方向で与党内の調整を進める考えだ」

とあり、2面の記事の本文には、


「小渕首相は19日夕西村氏を更迭せざるを得ないとの意向を固めた」

とありますが、いつ、どこで、誰に首相がそう言う考えを語ったのか全く書いてありません。

 朝日新聞は「更迭」の記事を書くまでにどのような取材をしたのでしょうか。記事を読んで、取材結果として確認できることは、

「青木幹雄官房長官は19日夕、大阪に滞在中の西村氏と電話で連絡を取り、20日午前8時半(20日付の新聞が印刷された後)に首相官邸に出向くよう指示した」、

「瓦防衛庁長官は19日夕、西村氏に電話で『政府見解と異なる個人的見解を述べることは好ましくない。発言には注意してほしい』と注意した」、

「西村氏は19日夕、朝日新聞の取材に、『国民から選ばれた国会議員として個人的な見解は当然持っており、政務次官になったからと言って考えが変わることはない』と強調。その上で『首相や官房長官に説明しなければならない。現段階ではコメントできない』と語り、自発的な辞任に含みを残した」

の3点のみです(この西村次官が語ったことを、『自発的な辞任に含みを持たせた』と解釈するのは無理があると思います)。20日付の朝刊の記事を書く時点での、西村次官更迭への具体的な事実は何も報じられていません。いち早く「更迭」することを決めたのは朝日新聞ではないのでしょうか。

 朝日新聞を見ていると、本人の真意の確認も、弁明も、発言に対する議論も一切抜きで、即日「更迭」が決まったことになります。一般読者は考える間もなく、議論をするヒマも、議論を聞くヒマもなく、新聞社の即日処分決定の結果を聞くだけでした。朝日新聞は、国旗国歌法の制定に際しては「ゆっくりと慎重に議論すべき」と主張していましたが、核兵器をめぐる議論は慎重にしなくてもよいのでしょうか。それともこの問題に関しては議論は無用なのでしょうか。政治家の発言について、議論を省略して処分だけを決めるのは民主政治にふさわしくないと思います。

 中国外務省の章啓月副報道局庁が記者会見で述べたことが報じられていますが、記者の質問に対して「(西村氏の)発言を見ていない」と断った上でのコメントになっています。西村次官の発言についてコメントを求めているのに、見ていない人の見解を求めることに意味があるのでしようか。また、そのコメントは適切なものと言えるでしょうか。
 社会面では、「『ひどい』嘆く被爆地」、「原水協 罷免求め抗議文」と言う見出しの下、「被爆地の広島、長崎などに怒りの声が広がった」とありますが、この段階で一般国民のどれだけの人が西村次官の発言の内容を知っていたでしょうか。怒っている人々はプレイボーイ誌の記事を良く読んだのでしょうか。

 朝日新聞の記事を読んでいると、今回の核武装発言に対する防衛問題としての言及はほとんどなく(自衛隊を違憲とする朝日新聞に、まともな防衛論争を期待する方が無理なのかもしれませんが)、核をめぐる感情論や、今までの西村次官の発言、行動が問題の多いものであるという、一方的な非難がほとんどです(20日の朝日新聞夕刊では韓国人の辛叔玉さんが『本質的に痴漢が政治家やっているだけで、この政治家が今急に痴漢になったわけではない』と、西村次官を痴漢呼ばわりし、言いたい放題の悪口を言っています)。防衛問題の議論はそっちのけで、西村次官に対する人格攻撃に終始しています。

 なぜこうまでして強引に解任を急ごうとするのでしょうか。それは、朝日新聞が西村氏を解任に追い込むチャンスを狙っていて、この発言を機会に彼を失脚させようと考えたからだと思います。そして、急いで事を運ばないと読者、国民が冷静に判断する時間的余裕ができてしまい、彼の発言は全体を見れば大騒ぎするほどのものではないことが判ってしまい、チャンスを逸すると考えているからだと思います。そして、核の問題で議論が巻き起これば西村次官の主張にも理があり、非核三原則の問題点が明らかになり、わが国の防衛政策の虚構性が明らかになるなる事を恐れたからだと思います。

 それにしても、政治家は朝日新聞に、「・・・更迭へ」とか「・・・辞任へ」と書かれると抗うことができないのでしょうか。我々日本人はポストに執着することを見苦しいことと考え、辞任を迫られると不本意ながら「潔い決断」をしてしまいがちです。朝日新聞はそこを突いてきているのだと思います。見込み記事でも、見切り発車でも、ひと度「更迭へ」、「辞任へ」の言葉が出てしまえば、後はそれに引きずられて動いてゆく、彼らはそう読んでいるのだと思います。朝日新聞の「へ」の使い方は実に巧妙です。

 新聞に書かれているのは新聞記者の意見であって、決して国民の多数意見ではありません。このことが分かってくれば政治家はもう少し頑張れるようになると思います。

平成11年10月24日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ