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読売新聞の「週刊現代」叩き

 1月4日の読売新聞に、「『週刊現代』、『アサヒ芸能』、本社、広告掲載見合わせ 過激な性表現 新聞に不適切」という見出しの記事(?)がありました。記事によると、「『毎号の広告内容に、新聞に載せるのにふさわしくない極めて過激な性表現が多数含まれ、改善が見られない』と判断、読売新聞紙上への広告掲載を当分の間見合わせることを決め、3日までに両社に通知した」とのことです。

 このような一方的な決定を「見合わせ」というのでしょうか。「見合わせる」とは、「控える」とか、「自粛する」とか、「自己規制する」という意味だと思います。つまり、自分の権利の行使、行動を抑制するものであって、他人の行動を制約したり、他人の利益を損なう行為を指す言葉ではないと思います。両誌の広告掲載を一方的に拒絶する行為を、「見合わせる」と言うのは不適切な表現です。「広告掲載を拒否」というべきだと思います。

 さらに記事を読むと、読売新聞は、「『性、性描写の取り扱いや表現が露骨で、みだらな感情を起こさせるもの』や『他を中傷したり、名誉毀損やプライバシーなど基本的人権の侵害となる恐れのあるもの』等は紙面に掲載しないことにしている」といっていますが、翌、1月5日の読売新聞朝刊に掲載されている、創価学会系の月刊誌「第三文明」の広告には、「『芸者写真』裁判で明らかになった日顕管長の『芸者遊び』」、「『シアトル売春婦トラブル』裁判 最終弁論 証拠写真提出で“改ざん疑惑”深まる日顕の『手帳』」とか、「ペテン師・山崎正友転落の軌跡(第3回) 後輩弁護士が証言『山崎は“ペーパー弁護士”だった!』」等の文字が踊っています。この「第三文明」誌は読売新聞12月5日掲載の1月号の広告でも、「法廷を欺いたウソつき日顕の“買春トラブル”ついに結審」、「“シーホース”を破綻させた山崎正友のあきれた乱脈経営」などと毎号、この両者を執拗に罵倒し続けていますが、これらの表現は、「他を中傷したり、名誉毀損やプライバシーな ど基本的人権の侵害となる恐れのあるもの」には該当しないのでしょうか。

 読売新聞はさらに第2面で、「昨年の日本弁護士連合会人権擁護シンポジウムの報告書では、過激な性表現の週刊誌広告を載せる新聞社などの責任が、やはりセクハラ的観点から取り上げられた」等と言っていますが、日弁連はこのシンポジウムで採択された、「報道のあり方と報道被害の防止・救済に関する決議」では、「・・・ しかし、新聞・テレビなどの報道機関は、遺憾ながら今なお、排他的、閉鎖的な記者クラブを通して、官公庁など機関からの公式発表情報に少なからず依存し、それらが提供する経済的便益さえ享受している。これらのことは、報道機関が権力機関を監視し、市民に必要な情報を取材・報道し、知る権利に奉仕する責務を十分に果たす上で妨げとなっている」と、新聞業界を厳しく批判しているのです。この決議文の中に、週刊誌の広告の性表現に関する批判は見あたりません。

 そして、「週刊現代」は 平成11年11月6日号で、「ジャーナリズムの現場から 第207回」、「日弁連が『記者クラブ制度』を大批判」、「人権擁護大会で“報道被害”の一因にあげられ」という見出しの記事で、記者クラブ制度を厳しく批判しました。さらに、新聞各紙が日弁連の記者クラブ制批判を報道しなかったことについて、「読売新聞は、15日付朝刊で『週刊誌広告 過激な性表現を批判 日弁連報告 媒体にも善処求める』という見出しの記事を載せている。不思議なことに、この記事は実際にこの日のシンポジウムで討論された内容(記者クラブ制に対する批判)にはほとんど触れず、日弁連が事前に用意した資料集『基調報告書』中の一節を引用しているだけなのである」として、自分に都合の悪いことを全く報じない新聞の体質を厳しく批判しているのです。

 そしてさらに、「週刊現代」は読売、朝日、毎日、東京の新聞各社に、(1)なぜ、日弁連の記者クラブ問題への提言を報道しなかったのか。(2)日弁連の記者クラブ批判への見解。(3)人権擁護大会への記者派遣の有無。を問い合わせたところ、読売新聞だけは回答することすら拒否したのです。

 たしかに「週刊現代」の広告は性表現が過激ですが、「週刊ポスト」、「週刊宝石」だって似たようなものだと思います。「週刊現代」だけが突出しているわけではありません。日弁連のシンポジウムをめぐる報道の経緯を考えると、今回の読売新聞の「見合わせ」措置は、セクハラ退治に名を借りた、極めて卑劣な「週刊現代」叩きであると思います。「アサヒ芸能」をも「処分」の対象に含めたのは、「週刊現代」だけを狙い撃ちにしたという非難をかわすためだと思います。

平成12年1月8日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ