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無責任を助長し、社会の制裁機能を奪う匿名報道

 名古屋で中学3年生の少年が長期間にわたり同級生に暴行を加え、5,000万円を恐喝していた事件がありました。これを報じる4月6日の読売新聞を見ると、犯罪者である少年ばかりか、被害者の少年の名前、それぞれの両親の名前、中学校の名前、被害者、加害者の担任教師の名前、校長の名前、専門学校の名前、相談を受けた警察官の名前、・・・など、すべての関係者が匿名になっています。固有名詞は全く見あたりません。以前はこの種の事件では、校長の名前だけが報じられていましたが、今回はそれすらなく、完全な匿名記事になっています。はたして、全員を匿名にする必要があるのでしょうか。

 この事件は、被害者の少年を含めて、担任教師や異常を知っていたすべての人に何らかの落ち度、責任があると思います。ここで言う責任とは法律上(刑事上、民事上)の責任に限りません。健全な社会は落ち度のあるものの責任を指摘し、必要なときは社会的な制裁を科す必要があります。責任のある人には、責任を痛感し、社会の厳しい視線を感じてもらう必要があります。それが同じ過ちを防ぐ上で不可欠です。ところが社会がその責任を指摘しようとしても、その名前が分からなければ、指摘することができません。
 
社会的制裁は決してリンチではありません。犯罪を犯したものが刑事処罰とは別に、懲戒免職になるのと同様の制裁で、司法の制裁を補い、社会の健全さを保つ上で不可欠のものです。

 現代の社会では、銀行でも、デパートでも、職場で働く多くの人が「名札」をつけて仕事をしています。電話をうければ見知らぬ人に対しても名前を名乗ります。一見の客に対してまで、
名札をつけたり、名前を名乗ったりするのは、覚えてもらう必要があってしているわけではありません。それは責任感の証(あかし)なのです。名札をつけ、名前を名乗ることによって、個人の責任を感じることによって、責任感のある仕事ができるのです。ミスを犯せば、直ちに個人の責任が追及されるのです。名前を知られることと責任感とは密接な関わりがあるのです。この種の事件で担任教師が実名で、顔写真付きで報道されることが一般的になれば、教師達はもっと真剣に対応するようになると思います。

 今回の事件に限らず、新聞を見ると少年事件以外でも、事件の被疑者、被害者、学校の教師などを匿名で報じるケースが増えています。例えば医療ミス事件で、東京都立広尾病院(渋谷区恵比寿)で昨年2月、入院中の主婦が点滴の誤投与で死亡した事故の場合でも、これを報じる3月3日の毎日新聞の記事を見ると、
医師と看護婦の名前は匿名になっています。重大な結果を招いた責任のあるものをなぜ匿名にするのでしょうか。

 これは
日弁連などが冤罪事件で、新聞報道を批判していることが影響していると思います。しかし、冤罪事件は報道に責任があるわけではありません。冤罪の可能性があるからと言って、事件のすべての当事者を匿名で報じていたのでは、マスコミの責任は果たせないと思います。冤罪事件を起こさないことと、不幸にして冤罪事件が起きてしまったときは、冤罪の犠牲者の名誉を速やかに、十分回復する手段を考えることが重要なのであって、報道を匿名にする必要はありません。匿名報道には社会の制裁機能を奪うと言う、非常に大きなデメリットがあります。

平成12年4月9日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ