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日経の社説が避けていること −戦後在日朝鮮人は何をしたか−
4月13日の日本経済新聞に、石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言を批判する社説がありました。その中で、「韓国などで『関東大震災直後のに起きた朝鮮人虐殺と言う蛮行を連想させる』(聯合ニュース)と言った反応が出ていた」とか、「・・・阪神大震災の際、略奪のような犯罪がほとんど見られなかった点に外国のメディアが驚いたのも事実である」、「・・・隣人の心を傷つけるようなものであってはならない。今回の件は石原知事にとっていい勉強になったろう」などと書かれていました。
日経新聞は関東大震災や阪神大震災の時のことを取り上げていますが、「三国人」と言う言葉が使われた当時、つまり日本が戦争に敗れ、全土がアメリカ軍の占領下にあった時、彼ら在日コリアンがしたことには全く触れていません。日本国民にとって阪神大震災の比ではない、未曾有の苦難の時であった敗戦の時に、彼らコリアンがした無法行為について日経新聞はなぜ言及しないのでしょうか。
産経新聞は4月15日のコラム「産経抄」で次のように書いています。
■ 産経抄(抜粋)
▼「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者をさす
俗称で、・・(中略)・・占領軍総司令部はこの人たちを「解放国民」と指定した。それは「治外法権」と同義語だった。
▼解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったのである。東京焼け跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると「彼らは民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」。
▼どぶろく、カストリ、ばくだんなどの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けたが警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して対抗させた。「警視庁年表」をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の朝鮮人を奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した。
(以下略)
祖国の敗戦と占領という日本国民の苦難の時に、彼ら在日コリアンはこういうことをしたのです。関東大震災だけが歴史ではないのです。このことは日本人として決して忘れてはならないことですが、日経新聞は知らないふり、忘れたふりをして石原知事を批判しています。日経新聞がこの点に触れなかったのは、この問題は戦後のマスコミのタブー、占領下に何が起き、新聞は何を報じていたかという問題に行き着くからだと思います。
平成12年4月16日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ