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占領下に作られた「新聞倫理綱領」

 6月22日の読売新聞に、日本新聞協会が新しく制定した「新聞倫理綱領」のことが報じられていました。記事を読むと、この綱領には、「・・・『国民の知る権利』は民主主義社会を支える普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理観を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」、「・・・言論・表現の自由を守り抜くと同時に・・・」など、言論の自由が謳われています。

 そして、日本新聞協会の渡辺会長(読売新聞社長)の話が紹介されていて、その中で渡辺会長は、「旧新聞倫理綱領は、占領下にありながら新聞界の諸先輩が情熱を傾けて制定し、これを実践する団体として新聞協会が設立された」と言っています。新聞倫理綱領と日本新聞協会が「占領下」に作られたことは初めて知りました。
 「占領下」と聞いて、新聞に関してまず思い出されることは占領軍の「検閲」です。占領軍は自らに対する批判、東京裁判への批判、占領軍による憲法起草に対する批判を始め、占領軍兵士や在日朝鮮人の日本人に対する暴行、狼藉の報道を全面的に禁止し、そのための事前検閲や、信書の開封などが大規模に行われていました。

 そのような「占領」にわざわざ言及し、「占領下にありながら新聞界の諸先輩が情熱を傾けて制定した」と、渡辺会長が語る「綱領」とは一体どんなものだったのでしょうか。当時の新聞業界は、かかる占領軍の言論弾圧に対して、日本人の言論の自由を守るために、どのような綱領を掲げて抵抗しようとしていたのでしょうか。私は早速、日本新聞協会のホームページを開き、当時(1946年7月23日制定)の「新聞倫理綱領」(末尾参照)を読んでみました。

 ところが、この綱領は占領軍の言論弾圧のことには全く触れていません。間接的にも、婉曲にもそれらしき言及はありません。一体どこが「占領下にありながら」なのでしょうか。このような「綱領」は占領軍は大歓迎するに決まっています。「占領下にありながら」とは、単に「物資の不足していた苦しいときに」、と言うだけの意味なのでしょうか。この新聞倫理綱領が占領軍の検閲には一言も触れずに、「日本を民主的平和国家として再建するに当たり・・・」とか、「全国の民主主義的日刊新聞社は・・・」とか、「・・・かくて本綱領を守る新聞の結合が、日本の民主化を促進し、・・・」などと言っているのは、占領軍の意に副わんとするものだと思います。“占領下にありながら”制定された「綱領」と言うよりも、“占領下だから”制定された“占領下らしい”「綱領」と言うべきだと思います。

 この綱領が占領軍の指導のもとでなく、自らの自由意志でできたものであるならば、当時の新聞業界はこの言論弾圧を、何の抵抗もなく受け入れていたと考えざるを得ません。ジャーナリストとして志が低いと思います。占領終了後もこのような綱領を掲げていた日本の新聞業界は、独立回復後も占領軍の精神的な支配下にあったと言わざるを得ません。

平成12年6月24日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ



(旧)新聞倫理綱領 (青色強調は筆者)

 
日本を民主的平和国家として再建するに当たり、新聞に課せられた使命はまことに重大である。これを最もすみやかに、かつ効果的に達成するためには、新聞は高い倫理水準を保ち、職業の権威を高め、その機能を完全に発揮しなければならない。
 この自覚に基づき、
全国の民主主義的日刊新聞社は経営の大小に論なく、親しくあい集って日本新聞協会を設立し、その指導精神として「新聞倫理綱領」を定め、これを実践するために誠意をもって努力することを誓った。そして本綱領を貫く精神、すなわち自由、責任、構成、気品などは、ただ記者の言動を律する基準となるばかりでなく、新聞に関係する従業者全体に対しても、ひとしく推奨さるべきものと信ずる。

第1 新聞の自由

 公共の利益を害するか、または法律によって禁ぜられている場合を除き、新聞は報道、評論の完全な自由を有する。禁止令そのものを批判する自由もその中に含まれる。この自由は実に人類の基本的権利としてあくまでも擁護されねばならない。

第2 報道、評論の限界

 報道、評論の自由に対し、新聞は自らの節制により次のような限界を設ける。
イ 報道の原則は事件の真相を正確忠実に伝えることである。
ロ ニュースの報道には絶対に記者個人の意見をさしはさんではならない。
ハ ニュースの取り扱いに当たっては、それが何者かの宣伝に利用されぬよう厳に警戒せねばならない。
ニ 人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである。
ホ 故意に真実から離れようとするかたよった評論は、新聞道に反することを知るべきである。

第3 評論の態度

 評論は世におもねらず、所信は大胆に表明されねばならない。しかも筆者は常に、訴えんと欲しても、その手段を持たない者に代わって訴える気概をもつことが肝要である。新聞の高貴たる本質は、この点に最も高く発揚される。

第4 公正

 個人の名誉はその他の基本人権と同じように尊重され、かつ擁護さるべきである。非難された者には弁明の機会を与え、誤報はすみやかに取り消し、訂正しなければならない。

第5 寛容

 みずから自由を主張すると同時に、他人が主張する自由を認めるという民主主義の原理は、新聞編集の上に明らかに反映されねばならない。おのれの主義主張に反する政策に対しても、ひとしく紹介、報道の紙幅をさくがごとき寛容こそ、まさに民主主義新聞の本領である。

第6 指導・責任・誇り

 新聞が他の企業と区別されるゆえんは、その報道、評論が公衆に多大な影響を与えるからである。
公衆はもっぱら新聞紙によって事件および問題の真相を知り、これを判断の基礎とする。ここに新聞事業の公共性が認められ、同時に新聞人独特の社会的立場が生まれる。そしてこれを保全する基本的要素は責任観念と誇りの二つである。新聞人は身をもってこれを実践しなければならない。

第7 品格

 新聞はその有する指導性のゆえに、当然高い気品を必要とする。そして本綱領を実践すること自体が、気品を作るゆえんである。その実践に忠実でない新聞および新聞人は、おのずから公衆の支持を失い、同志の排斥をこうむり、やがて存立を許されなくなるであろう。ここにおいて会員は道義的結合を固くし、あるいは取材の自由を保障し、または製作上の便宜を提供するなど、互いに助け合って、倫理水準の向上保持に努めねばならない。
かくて
本綱領を守る新聞の結合が、日本の民主化を促進し、これを保全する使命を達成すると同時に、業界を世界水準に高めることをも期待するものである。

(1946年7月23日制定・1955年5月15日補正)

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