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番記者と森首相
 

4月20日の産経新聞コラム「産経抄」は森首相の退陣に当たって、次のように言っていました。

 「・・・森さんの著書には『新聞記者ならば、将来、政治家になるチャンスがあると考えたからである』という記述があった。森さんはジャーナリスト出身と言われているが、それはただ政治家への踏み台だったのである。従って、情報やメディアの意義や重要性に対してさして関心はなく、理解もなかった。だから番記者にではなく、その背後にいる国民に向かって語るという認識が欠けていた。もしもそう言う視点があり、記者達と日常の交流があったなら「神の国」も「えひめ丸とゴルフ」も、ここまでひどくたたかれなかったのではないか。・・・」

 政治家を志したり、政治的野心を持っているジャーナリストは少なくありません。千葉県知事に当選した堂本暁子さんも、高知県知事の橋本大二郎さんもジャーナリスト出身です。森首相が自伝で「新聞記者ならば、将来、政治家になるチャンスが、・・・」と言ったという一点だけとらえて、「政治家への踏み台にした」というのは、いささか酷な言い方だと思います。政治家を志して官僚になったり、弁護士になったり、あるいは組合活動をする人は少なくありませんが、普通そう言う人達に対して、「踏み台にしている」という非難はありません。新聞記者だけが特別というわけではないと思います。「メディアの意義、重要性云々」は、ジャーナリストの特権意識、思い上がりの表れに過ぎないと思います。

 むしろ問題なのは、森首相が、「記者達と日常の交流がなかったために、『神の国』や『えひめ丸とゴルフ』で、あれほどひどくをたたかれた」と言う点です。このような報道は、真実の報道とは言えません。また、産経抄は「番記者にではなく、その背後にいる国民に向かって語るという認識が欠けていた」と言っていますが、番記者が国民の代表であるかのような言い方は思い上がりも甚だしいと言わざるを得ません。新聞記者は国民の代表でも、新聞社の代表でもありません。首相が若い番記者につき合っているのは、政治家の声を聞きたがっている国民の要望を考え、新聞業者の取材に便宜を図っているに過ぎません。自分たちが首相に軽んじられたからと言って、それを逆恨みして、「たたく」などという行為に走るのは、業務上の立場の悪用に他なりません。森首相に「国民に向かって語るという認識が欠けていた」というのならば、番記者には「業務上与えられた立場を悪用してはならない」という認識が欠けていたと言えます。

 森首相は新聞記者出身であるだけに、記者の裏も表も良く知っていたと思います。首相は番記者をジャーナリストだなどと思ってはいなかったでしょうし、ましてや「彼らの背後に国民がいる」などとは毛頭思っていなかったと思います。それは当然のことです。記者に対して何も遠慮することなく、彼らの取材上の不作法をストレートに指摘したのだと思います。首相就任直後の「オフレコ問題」はそう言う問題だったのだと思います。それが記者達には煙たく感じられ、うらまれる元になったのだと思います。それと、森首相が教育基本法の見直しを提案していたことなども、新聞業界の不興を買った一因だと思います。

平成13年4月21日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ