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なぜ父母などによる幼児殺害事件が頻発するのか −罪なき子供の命を軽んじる司法(藤原美弥子裁判長)による軽すぎる刑罰が悲惨な事件を誘発する−
2月16日の読賣新聞は、「富田林の2歳女児熱中症死、祖母に懲役9年の判決…大阪地裁堺支部「『日常的な虐待の末の犯行』」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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富田林の2歳女児熱中症死、祖母に懲役9年の判決…大阪地裁堺支部「日常的な虐待の末の犯行」
2024/02/16 22:29 読売
大阪府富田林市で2022年6月、2歳の女児が「ベビーサークル」内に監禁されて熱中症で死亡した事件で、保護責任者遺棄致死と逮捕監禁の両罪に問われた祖母小野真由美被告(47)の裁判員裁判の判決が16日、大阪地裁堺支部であった。藤原美弥子裁判長は「空腹と脱水状態の中で死亡した女児の苦痛や絶望感は察するに余りある」と述べ、求刑通り懲役9年を言い渡した。
判決によると、真由美被告は内縁関係の桃田貴徳被告(52)(1審で懲役6年、控訴)と共謀し、22年6月24〜27日、四方を板張りにして蓋をつけたベビーサークル内に孫の小野 優陽ゆうは ちゃんを監禁。27日夜からは十分な水や食事を与えず、29日に死亡させた。
判決は、優陽ちゃんが事件前から十分な食事を与えられず、ベビーサークル内に閉じ込められることがあったとし、「日常的な虐待の末の犯行」と指摘。真由美被告らが優陽ちゃんを放置し、大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパンで遊んでいたことに触れ、「遊興する時間を楽しみたいという身勝手な目的だった」と非難した。
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この事件はなぜ殺人では無く、“致死”として扱われたのでしょうか。
無抵抗で逃亡も出来ない2歳の幼児を、長期間十分な食事を与えず監禁・拘束し苦痛を味わわせて放置し、当然の結果として熱中症により死に至らしめた一連の行為が殺人である事は明らかです。
逮捕監禁と遺棄致死を併せて判断すれば、殺人である事に異論の余地はありません。
逮捕監禁+遺棄致死→殺人なのです。一連の行為を分けて考えるのは全く不合理です。罪を軽くすることを目的とした屁理屈です。弁護士が主張するだけならともかく、判事がそれを採用するとは信じられません。
犯行が金目当てでは無いからと言って、それで殺意が否定されたり悪質性が軽減されるものではありません。強盗殺人よりも罪は重いと考えるのが当然です。そう考えたときにこの事件で懲役9年は妥当と言えるでしょうか。強盗殺人事件が懲役9年で済むでしょうか。
更にこの事件の2歳の被害者には殺人被害を招来すべき、故意も過失も全くありません。他方成人が被害者の事件の場合には、事件によっては被害者側にも不法行為があるなど、加害者の罪を減じるべき理由が存在する場合がありますが、幼児の被害者にはそのような事情は全く無いのです。
しかるに幼い子供が虐待の挙げ句殺されたこの事件で、なぜ、成人が被害者の事件に比べて犯人の罪(刑罰)が軽くなるのでしょうか。子供の命は軽いのでしょうか。
今回の様に幼児が両親などに殺された場合の判決が「死刑、無期懲役」となった事例は見たことも聞いたことも有りません。それで良いのでしょうか。
判事のいう「空腹と脱水状態の中で死亡した女児の苦痛や絶望感は察するに余りある」は口先だけの「リップサービス」で、判決には全く反映されていません。検事の求刑も軽すぎます。両親にも祖父母にも見捨てられた子は、検事と判事にも見捨てられたのです。この法廷にはこの子の無念さを晴らそうとする人はいなかったのです。
事件前から十分な食事を与えられず、ベビーサークル内に閉じ込められることがあったと言う、「日常的な虐待の末の犯行」で「死亡させた」事件が、なぜ「殺人罪」にならず「致死罪」なのでしょうか。
仮に法律家の“屁理屈”の世界では殺人認定が簡単ではないとしても、“未必の故意”には十分当てはまります。
この裁判は「裁判員裁判」ですが、何のために「裁判員」がいるのでしょうか、判事は裁判員の意見を聞いたのでしょうか。判事に裁判員の意見を聞く耳があるのか疑問です。判事は素人の裁判員に「司法の常識」を教えるのが役割だと思っているのではないでしょうか。
計画性も、残虐性も十分であるにも拘わらず、それを明確な殺意と認定しないのは、正に「司法の常識は国民の非常識」と言うほかは無く、これでは裁判員の存在する意義は全くありません。
何故このような裁判がまかり通っているのでしょうか。
それは裁判に対しては国民(裁判員)の声、意見が全く届いていない(届いていても無視される)現実があるからです。
届いているのは、業界の人間(弁護士・大学教授(有識者?)・新聞記者)などの意見だけで、一般国民は「蚊帳の外」に置かれていて、自分たちの声が業界に伝えられることも、法廷に伝えられることも一切ありません。これが司法・マスコミが主権者に対してすべき事をしていると言えるでしょうか。
一般国民を軽視(無視)すると言う点では、司法(検事を含む)もマスコミも全く違いがありません。裁判員達の声が聞かれる機会も皆無です。
司法の秘密主義は「公正」を口実に行われるのが常ですが、何が公正であるかは、最終的には「民意」が決めるのであって、「司法」が決めることではありません。司法が民主主義の配下にある事を忘れるべきではありません。
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この記事の2日後に同じ読賣新聞は、「4歳娘を『憎たらしい』、殺害容疑の両親がLINEでやり取り…日常的に育児放棄か」と言う見出しで、下記の様に同種の別事件を報じていました。
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4歳娘を「憎たらしい」、殺害容疑の両親がLINEでやり取り…日常的に育児放棄か
2024/02/17 11:50 読売
東京都台東区の自宅で次女(当時4歳)に向精神薬などを飲ませて殺害したとして両親が逮捕された事件で、両親が事件前、次女について「憎たらしい」などとLINE(ライン)でやり取りしていたことが捜査関係者への取材で分かった。警視庁は次女に対する日常的な育児放棄(ネグレクト)があったとみている。
父親の細谷健一(43)、母親の志保(37)両容疑者は昨年3月12〜13日頃、台東区今戸の自宅で次女の 美輝よしき ちゃんに向精神薬や不凍液を摂取させて殺害したとして、今月14日に逮捕された。
捜査関係者によると、押収した両容疑者のスマートフォンを解析した結果、事件前、志保容疑者がLINEで美輝ちゃんについて「かわいくない」、「憎たらしい」とのメッセージを健一容疑者に繰り返し送っていたことが確認された。健一容疑者が「(美輝ちゃんが)いなければ良かったね」と応じる内容もあったという。
美輝ちゃんは両親と小学生の兄(10)、姉(8)の5人暮らしだった。長期間、託児施設に預けたままにされたことがあったほか、保育園に同じ服で登園していて、保育士は警視庁に対し「お風呂に入っていないようだ」と説明したという。
両容疑者はLINEで「長男は跡取り。長女はかわいい」などとメッセージを交わしており、警視庁は美輝ちゃんが一家の中で孤立していたとみている。
養育状況を確認してきた都児童相談所と台東区は、美輝ちゃんを巡る一連の対応を検証するとしている。
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この毒殺事件は現段階では警察も読賣新聞も明確に「殺人事件」として取り扱っているようですが、「育児放棄(ネグレクト)」という部分は、前記の「監禁殺害事件」と共通する犯罪者に対する甘い見方・考え方を想起させ、今後の司法の対応に不安が残ります。
もし、この加害者達の脳裏を「死刑」、「無期懲役」の2語がよぎっていたら、多分このような事件は起こらなかったはずです。
司法は子供の命を軽んじる判決を連発することにより、このような悲惨な事件を頻発させています。「司法(判事と検事)」の責任は軽くありません。「司法(とマスコミ)の常識は、国民の非常識」と言うべき事態です。
令和6年2月24日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ