C103
司法の常識は国民の非常識 司法は法の番人であり、“正義の味方”ではない
-最高裁判事全員の国民審査を3年ごとの参院選挙時に実施すべき-
10月24日の読売新聞は、「最高裁裁判官 国民審査のポイント」と言う見出しで、次の様に報じていました。
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最高裁裁判官 国民審査のポイント
2024/10/24 05:00 読売
国民審査
「憲法の番人」である最高裁の裁判官が職責にふさわしいかを国民がチェックする国民審査が27日、衆院選と同時に実施される。元最高裁裁判官の2人に国民審査の意義やポイントを聞いた。(杉本和真)
(中略)
罷免票 気を引き締め…桜井龍子氏
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さくらい・りゅうこ 1970年に旧労働省に入省し、女性局長などを歴任。
2008年、女性として史上3人目の最高裁裁判官に就き、17年まで務めた。77歳。
最高裁裁判官に就任して約1年で国民審査を受けた。私の 罷免ひめん を求める投票の割合は6・9%だったが、その票数は約465万票。罷免されなくとも、それだけの方が意識的に不信任を選択したという事実に正直、驚いたが、同時に「より 真摯しんし に職務に向き合わなければ」と気を引き締めた。
担当した裁判の中で特に印象に残っているのが、2014年に裁判長として判決を言い渡したマタニティー・ハラスメントに関する訴訟だ。女性が妊娠に伴う配転により降格させられたことの是非が争われ、判決では「特段の事情がない限り降格は違法」と初判断した。
旧労働省時代に育児休業法の制定など労働者を保護するためのルールづくりに汗をかいたが、法が想定していない問題を解決し、いわば「法律に魂を入れる」ことこそが裁判官の仕事だと実感した。
国民審査は、そうした大きな権限を持ち、社会に影響を与えうる最高裁裁判官に仕事を続けさせるかどうか、民主的に判断する唯一の機会だ。有権者の方々には、「司法の民主性」を担保する重要な手続きだということを意識してもらい、国民審査に臨んでいただきたい。
◆国民審査 =憲法に規定された制度で、最高裁裁判官に任命後、最初の衆院選時に審査対象となる。罷免(ひめん)すべきだと思う裁判官がいれば、投票用紙に書かれた氏名の上の欄に「×」をつける。有効票のうち、「×」が過半数に上った裁判官は罷免される。
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新聞記事が、“国民審査”を議論するに当たって、審査される側の元判事の意見だけを記事にして、肝心の審査する側の主権者の意見を何も報じないのは、マスコミがどちらを向いてモノを言っているのか考えさせられる場面です。
その中で、「『法が想定していない問題』を解決し、いわば『法律に魂を入れる』ことこそが裁判官の仕事だと実感した』と有りますが、その様な認識は誤りです。
法(憲法を含む)が想定していない問題の訴え(請求)は、請求の法的根拠なしとして請求を却下すべきであり、その判断は立法・行政の政治判断に任せるべきです。もし、司法が対応するのならそれは政治(立法)介入に他ならず、法の番人のすることではありません。あくまで立法・行政の判断を尊重すべきです。
司法は「法の番人」であり、「正義の味方」ではありません。「法律に魂を入れる」のは、立法権の侵害であり許されません。
また、「国民審査は、そうした大きな権限を持ち、社会に影響を与えうる最高裁裁判官に仕事を続けさせるかどうか、民主的に判断する唯一の機会だ」として、その重要性を指摘していますが、その機会が就任直後のたった1回(唯一)である必要(理由)が有るのでしょうか。
今回の国民審査に当たって発行された、「最高裁判所裁判官国民審査公報」を見ると、6人の審査対象者の内平木正洋、中村愼両判事は、着任後日が浅いことを理由に、「最高裁判所に於いて関与した主要な裁判」の欄には、両名とも「最高裁判事就任後日が浅いため、特に記すべきものはありません」として、何も答えていません。これではまともな審査ができません。
また、具体的に判例を記載している判事達も、その全部が「全員一致」か「多数意見」の判例ばかりで、「少数意見」の判例はゼロです。
これらは国民審査をする時期と回数などの制度に根本的な問題(不備)があることを明白に物語っています。
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この10月27日の国民審査の直後の10月30日に、NHKのテレビニュースは、「同性どうしの結婚を認めない法律規定は憲法違反 東京高裁」と言うタイトルで、次の様に報じていました。(茶色字は記事、黒字は安藤の意見)
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同性どうしの結婚を認めない法律規定は憲法違反 東京高裁
2024年10月30日 16時21分 NHK
戸籍上の同性カップルなどが国を訴えた裁判で、東京高等裁判所は、同性どうしの結婚を認めない法律の規定について「差別的な取り扱いだ」として憲法に違反するという判断を示しました。
一方、国に賠償を求める訴えは退けました。
全国で起こされた同様の裁判で2審の判決は2件目で、いずれも憲法違反という判断になりました。
東京に住む戸籍上の同性のカップルなどは、同性どうしの結婚を認めない民法などの規定は憲法に違反するとして国に賠償を求めました。
一方、国は「同性どうしの結婚は憲法で想定されていない」などと主張しました。
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30日の2審の判決で、東京高等裁判所の谷口園恵裁判長は、「同性間でも配偶者として法的な関係をつくることは、充実した社会生活を送る基盤となるもので、男女間と同様に十分に尊重すべきだ。性的な指向が同性に向く人の不利益は重大だ」と指摘しました。
同姓婚は自然界(哺乳類、は虫類、両生類、昆虫、など高等・下等両性生物総て)であり得ない、精神疾患によるものであり、病気に対してすべき事は、治療と社会復帰の訓練であり、病気を放置することではありません。
また同性婚について近年の意識調査で賛成している人が増え、自治体でパートナーシップ制度の導入が進んでいるとして、「社会の受け入れの度合いは高まっている。民法の規定には合理的な根拠がなく、差別的な取り扱いだ」として憲法に違反すると判断しました。
“意識調査”、“自治体”について具体的なデータの提示がありません。公平公正な世論調査に基づく、全国民の意見を集約したものでなければ、根拠(証拠)にはなりません。それに「世論(国民の多数意見)」に従うのは政治の世界であって司法の世界ではありません。
憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として」の部分の「両性」と「夫婦」が「男女」を前提としているのは言うまでもないことで、それに対する「不合理」、「差別的」、「憲法違反」という認識は狂気の沙汰です。
判事が一言「ケンポー」と言えば何でも通ると考えるのは正気ではありません。、
一方、国に賠償を求める訴えについては最高裁判所の統一判断が出ていないことなどを理由に退けました。
同姓婚の可否についても最高裁の統一判断はでていません。それなのになぜ退けないのでしょうか。言っていることが支離滅裂です。
(中略)
官房長官 “国民各層の意見や国会での議論の状況など注視”
林官房長官は午前の記者会見で「現段階では確定前の判決であり、他の裁判所に同種の訴訟が係属していることから、その判断も注視していきたい」と述べました。
その上で「同性婚制度の導入は親族の範囲やそこに含まれる人の間にどのような権利義務関係などを認めるかといった国民生活の基本に関わる問題であり、国民1人1人の家族観とも密接に関わる。国民各層の意見や国会での議論の状況、それに同性婚に関する訴訟の動向、自治体でのパートナーシップ制度の導入や運用状況などを引き続き注視する必要がある」と述べました。
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同姓婚認定の次は、一夫多妻(一妻多夫)、多夫多妻結婚の認定でしょうか。
こう言う非常識判決を根絶する為にも、国政選挙(3年ごとの参院選)ごとの、最高裁全判事の「国民審査」の実施が必要・不可欠です。過去に国民審査で罷免された判事が一人もいないということは、制度の「形骸化」を如実に示しています。
こう言う非常識、バカ判事は他にも居るはずです。そう言う者達を法廷から追放することは喫緊の課題です。
令和6年10月30日 ご意見・ご感想は こちらへ トップへ戻る 目次へ