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死刑廃止と世論
 

 12月9日の朝日新聞夕刊の「国際法違反の死刑を考える」(菊田幸一明治大学教授)という記事を読みました。菊田教授は日本で先月三名の死刑が執行されたことについて、「国連規約人権委員会の勧告に対する明白な挑戦である」とか「国際法に違反している」といっていますが、甚だしい論理の飛躍であると思います。また、日本の人権状況に関する国連規約人権委員会の第四回審査に関して、教授は日本の国会議員、弁護士、ジャーナリスト等の会員5000名からなる「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」を代表して政府報告に対するカウンターリポートを提出し、審査を傍聴したとのことですが、教授の死刑廃止に関する「世論」についての考え方は誤りであると思います。

 まず、「委員会で『日本政府は死刑廃止に向けて世論を変えていく努力について報告していない』ことが指摘された」とあります。次に、「その指摘をふまえて、委員会は『死刑存置の根拠として世論調査の結果を使用することを懸念している』ことなどを日本政府に勧告した」とあります。さらに教授は「世論が死刑の存否を決定づけるものでないことは同委員会の見解でもある」、「国際社会では国民世論を死刑存続の根拠にすることは通用しない」と言って、しきりに世論を無視することを主張しています。

 世論を重視するのは民主主義社会の根本原理だと思います。教授は政治のすべてについて、世論を無視せよと主張するのでしょうか。それとも、死刑存廃の問題についてのみ、世論を無視せよとおっしゃるのでしょうか。もし、後者であるならばその理由は何ですか。死刑を廃止している国でもこの問題に関しては、政府が世論を無視して死刑が廃止されたのでしょうか。たぶんそうではないと思います。これらの国では死刑廃止の世論が多数であったからこそ死刑が廃止されたのだと思います。教授の主張は「死刑廃止の世論は尊重し、廃止反対の世論は無視せよ」という死刑廃止論者の身勝手な主張だと思います。

 政府に対して、世論を誘導することを求めていますが、日本国民の多数意見(世論)によって成立している日本政府が、世論を否定して、世論の誘導を図るのは自分で自分を否定するようなものです。世論を尊重して行動すべき政府が世論の誘導を図るなどと言うことは、例えて言えば人間の指示に従って作動すべきコンピューターが、逆に人間に命令するようなものです。あってはならないことです。政府が音頭をとって主権者である国民を特定の考え方に誘導しようとか、統一しようという発想は、国民を主権者として認めない、基本的人権を否定する大変危険な考え方で、それは全体主義者、ファシストの発想です。民主主義の否定です。

 世論を無視しろと主張する一方で、政府が世論を誘導することを主張するのは矛盾しています。世論を無視するのであれば、世論を誘導する必要はないはずです。誘導した結果できあがった、死刑廃止の世論は尊重すべきと言うことなのでしょうか。「最近のNHKの世論調査などでは、終身刑の導入を条件にした場合、死刑の廃止を求める声が存置を上回っている」と言っているのはどういう意味なのでしょうか。「国民世論を死刑存続の根拠にすることは通用しない」と言っておきながら、NHKの世論調査の結果を死刑廃止論の根拠にするのは大変勝手な論理だと思います。

 「死刑執行を増加させることは、委員会への挑戦にとどまるものではなく、日本国憲法の精神から明白に逸脱し、国際法にも違反している」と言っていますが、日本国憲法の精神とは第何条のどこに書いてあるのでしょうか。裁判所の判決を執行しない方が行政府による司法への介入、憲法の三権分立の精神違反になるのではないでしょうか。

 憲法第31条には「何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」とあります。「法律の定める手続きにより生命を奪われる刑罰」とは死刑に他なりません。私は進駐軍の作った憲法を聖典視する者ではありませんが、日本国憲法は明らかに死刑制度を前提にしていると思います。死刑制度を違法として否定する方が憲法の精神に反すると思います。

平成10年12月12日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ