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根拠に疑問、「社会通念」判決

 長野県で過労による自殺が労災事故に当たるか否かが争われていた裁判で、3月12日長野地裁は、労災事故と認定しなかった労働基準監督署の判断を覆し、労災として認定する判決を言い渡しました。過労と自殺の間の因果関係について、「厳密な医学的証明は必ずしも必要なく、社会通念上の因果関係が立証されれば足りる」としています。

 裁判所が判決の根拠として「社会通念」を挙げることが珍しくありませんが、社会通念が何であるかは明確なのでしょうか。未だ、社会通念の中身を明記した著作物を見たことも聞いたこともありませんし、社会通念の専門家と言うのも聞いたことがありません。裁判官はどうして社会通念が判るのでしょうか。司法修習所では、法律の勉強とならんで、社会通念の勉強もしているのでしょうか。
 裁判官は「社会通念」を、法的根拠も科学的根拠もない判断を正当化するための方便に使っているだけではないのでしょうか。自分の頭にある基準を、勝手に社会通念と言っているだけだと思います。社会通念を判決の根拠にするなら、世論調査をするなり、陪審員に諮るなりして、社会通念がいかなるものであるのか、確認する必要があると思います。何の根拠もなしに社会通念を持ち出す裁判は、法と証拠に基づく裁判とは言えません。

 社会通念とにたような言葉で「固定観念」というものがあります。この言葉は労働省などによって、もっぱら男女の役割分担を非難するとき使われています。固定観念つまり、長年多くの人々に支持されてきた考え方は、ただそれだけで、非難の対象にならなければならないのでしょうか。「社会通念」と「固定観念」とはどこがどう違うのでしょうか。どちらもいわゆる「常識」のことで、それを区別する客観的な基準はないと思います。男女の役割分担はなぜ社会通念とは言わないのでしょうか。社会の常識を理論的な根拠なしに、あるときは社会通念と言って判決の根拠とし、ある時は固定観念と言って非難するのは、科学的な議論ではありません。

平成11年3月17日   ご意見・ご感想は    こちらへ     トップへ戻る      目次へ