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裁判官の思い込みがすべての甲山事件判決

 甲山事件の第2次控訴審の判決が出ました。初公判からわずか2ヶ月で結審し、検察の証拠申請をことごとく退けた裁判は、明らかに予断に基づいており、裁判官には法廷での審理を通じて真相を解明しようと言う意志がなかったものと考えざるを得ません。弁護士業界の多数意見に阿り、真相の解明、正義の実現という裁判所の使命を放棄した判決である思います。

 新聞で報じられた判決文(要旨)を見ると、アリバイ論について

 「・・・そもそも、検察官の主張によれば被告人は被害女児転落についての責任を免れようとして犯行に及んだのであるから、そのような被告人が、未だ何人が犯人であるか見当もつかない時期に、一同僚に過ぎない指導員Aに、何故犯行をうち明けるのか理解できない。指導員A、指導員Bは単に被告人と職場を同じくする者に過ぎず、園児を殺害した犯人である被告人のために、虚偽のアリバイ工作に加わるような関係にあるとは考え難い」

 「・・・普通の社会生活を送っている人間なら、本件のような状況でアリバイ工作をしたからと言ってそれが成功すると思わないのが通常であろう。事件直後から指導員AやBが被告人のためにアリバイ工作を始めたという検察官の主張自体に常識的な見地から根本的な疑問がある」

 「・・・事件後の指導員Aの被告人に対する支援活動が異常であったという(検察官の)主張も、無実を信じての行動であるとすれば異常とまで言えるものではない。いずれもアリバイ工作があったと認める事ができるような証拠と言えない」

と言って検察官の主張を非難しています。

 裁判所が、被告人が“一同僚に過ぎない”指導員Aに犯行をうち明けるはずがないと言いながら、指導員Aが“一同僚に過ぎない”被告人のために、熱心に支援活動をすることを不思議と思わないと言うのは、矛盾していると思います。わが国では職場の同僚が「単に職場を同じくする者」ではなく、職場が「単なる職場」以上の共同体であることはしばしば見受けられることです。被告人ら施設の職員が仲間意識で結ばれ、一体感を持っていると考える方が自然です(特に25年前は、現代よりもその傾向が強かったと思います)。

 また、「・・・なぜ犯行をうち明けるのか理解できない」と言っていますが、犯罪者が大それた事をしてしまったあと、気が動転している時に、「大変なことをしてしまった」と恐ろしくなって、親しい者に犯行を打ち明けることはあり得ることだと思います。冷静な人間が冷静なときに、「そんなことをするはずがない」、「・・・理解できない」といっても、それは犯行当時の犯人の心理の判断として当たってはいないと思います。

 さらに裁判所は、「・・・アリバイ工作が成功すると思わないのが通常であろう」と言っていますが、本件のように「障害児施設」と言う隔絶された環境という特殊な状況の下では、自分たちが口裏を合わせさえすれば、死人に口無し、障害児に口無しで、すべてを隠し通せると考え、それが成功すると考えるのは「通常」の範囲内だと思います(それが実際に成功するか否かは別にして)。

 職員が自らの、そして、お互いの保身を第一に考え、内部の事故、事件、不祥事を組織のトップ以下が口裏を合わせて隠蔽しようとすることは、最近の神奈川県警の不祥事件を見ても明らかな事です。裁判官は何故そこに思いが至らないのでしょうか。公立の小中学校で校内暴力、教師による体罰(暴力)事件でも、その多くは被害児童、生徒の親が訴えるまで明るみに出ません。学校の教職員が同僚を告発するなどと言うことはほとんどありません。皆、仲間をかばい合っているのが普通です。施設の職員の不注意で児童が事故死し、さらにその事実を隠そうと、保母が障害児を殺したという事件が発覚したときの、施設とその職員への轟々たる非難を考えれば、職員が事件を隠蔽しようとすることは充分動機として考えられます。

 この裁判の判決理由を見ていると、一見、科学的で論理的に見える裁判も、実は何の理論的な裏付けのないままに、裁判官の「常識論」だけで有罪、無罪の結論を出している事が分かります。しかし、裁判官は法律の専門家ではあっても、常識の専門家ではありません。一裁判官の常識論で裁くのは、非常に危ういものがあると思います。常識とは一般国民の多数意見(司法関係者の多数意見ではない)に他なりませんから、裁判に一般国民の多数意見を反映させる制度の導入が必要だと思います。

 今回の裁判では検察の立証に無理があったという指摘がありますが、この事件はもともと、障害児施設という閉鎖的な空間で起きた特殊な事件です。物証や目撃者が乏しく、職員が口裏合わせをしやすい難事件です。難事件の有罪を立証することは容易ではありませんが、難事件であるからといって立証の努力をしなければ、検察はその使命を果たしていないことになります。外部からの犯行の可能性がなく、部内の犯行であることは間違いない以上、起訴、控訴は当然だったと思います。

 残念ながら今回は検察の力及ばずと言うところでしたが、その労は多としなければいけないと思います。そして、今後はこれを教訓として、裁判の引き延ばし戦術にはまらないよう、公判対策を考えてほしいと思います。

平成11年10月3日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ