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死刑を回避する裁判所

 平成4年に、東京国立市で35才の主婦が強姦された上、牛刀や千枚通しでメッタ突きにされて殺され、現金を奪われた事件で、最高裁判所は死刑判決を求めた検察の上告を退け、二審の無期懲役判決を支持する判決を言い渡しました。

 11月29日の朝日新聞夕刊を見ると、福田裁判長は判決の中で、「死刑を相当とした一審の判断もうなずけるが、殺人が用意周到に計画されていたとまで言えないことなどを考えると、無期懲役の判断を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは言えない」と、まるで官僚の答弁のような曖昧で無責任なことを言っています。二審の判決は著しく正義には反しなくとも、正義には反していたのでしょうか。著しく正義に反していなければ正義に反していてもいいのでしょうか。

 死刑を回避した二審の判断と、死刑を求める検察の主張とどちらがより正義に近いか、なぜ明言を避けたのでしょうか。裁判所の言うことは上告棄却の形式的な説明にはなっても、死刑を回避したことについての、国民に対する説明にはなっていません。日頃、判決理由の中で、行政府、立法府にまで注文を付けて発言している最高裁が、奥歯に物が挟まったような言い方で、明言を避けるのは不可解であり、無責任です。最高裁は上告棄却、死刑回避が国民の納得を得られないものであることを承知していて、死刑判決の一審を否定せず、あえて自らその可否について明言するのを避け、死刑回避の責任を高裁に転嫁したものだと思います。

 裁判所は、「落ち度のない家庭の主婦を強姦し、千枚通しで背後から心臓めがけて何度も突き刺し、牛刀でとどめを刺す残虐極まりない犯行」と言う検察官の主張する事実には注目せず、「凶器は主婦宅に向かう途中で拾っているので、強盗強姦が計画的であったものの、殺人については事前に周到に準備されたものではなかった(最高裁)とか、「犯行後自ら死を選ぼうとするなど人間性がわずかに残っている」(東京高裁)とか、中学時代の担任教師が被告を見守っていくと証言している(同)などの些細なことのみ取り上げて、死刑回避の口実にしています。

 ちょうど2日前の27日に発表された、総理府の「基本的法制度に関する世論調査」によると、国民の約80%が死刑制度を容認しています。死刑廃止論者は1割にも満たない、8.8%に過ぎませんでした。凶悪犯罪の裁判の都度、“死刑を躊躇する”裁判所、司法業界と国民の間で、凶悪犯罪者の処罰に対する考えには、大きな落差があると思います。

 民主主義国家に於いて、国民の多数意志とかけ離れた裁判が横行していることは憂慮すべき事です。裁判官はしょせん試験で採用された公務員に過ぎません。裁くのは法であり、裁判官は法の番人に過ぎません。裁判を彼ら番人の自由裁量に任せることは非常に危険です。それを防ぐためには、現在最高裁が勝手に作っている死刑の運用基準を法律により明確にし、裁判官の自由裁量の幅をできるだけ狭くすることが必要だと思います。

平成11年12月5日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ