C22
真相を闇に葬った甲山事件

 甲山事件の元被告の山田悦子さんが、不当逮捕を訴えて国と兵庫県を相手取って起こしていた、国家賠償請求訴訟を取り下げました。3月4日の産経新聞は、弁護団記者会見の内容を次のように伝えています。

 「弁護団はこの日・・・『今後、日本の戦争責任を追及する活動などに専念したいと考え、取り下げることにした』とする山田さんのコメントを読み上げた」
 「弁護団によると・・・『・・・実態を明らかにすることが、えん罪防止につながるとの積極論と、『完全無罪判決を勝ち取った以上、再び国などを相手に法廷闘争を続けることは身体的・精神的に負担が多すぎる』との非積極論に分かれ、議論が行われていたという」
 「山田さんの話、『人間の尊厳が司法とともにある社会の実現に向けて、ささやかではありますが、
行動することに専念したいと考え、国賠を取り下げることにしました』」

 彼らが言っているどれひとつを取っても、訴訟取り下げの理由になるとは思えません。損害賠償訴訟が「戦争責任を追及する活動」の妨げになるのでしょうか。仮に妨げとなったとしても、山田さんにとって「失われた21年」の償いを求める訴訟の重みは、その程度のものなのでしょうか。

 裁判闘争とは言っても、刑事裁判と違って、山田さんは損害賠償請求訴訟の原告です。負けたからといって何かを失うわけではないはずです。それとも彼女はこの裁判によって
何かを失う恐れを感じていたのでしょうか。無罪が確定したからといって、取り下げる理由がありません。これが訴訟取り下げの理由になるなら、冤罪事件の被害者は、暇を持て余している人以外は、全員国家賠償訴訟を取り下げることになりかねません。いかに、日本の裁判が時間がかかるといったって、無罪確定から4ヶ月であきらめるのは早すぎるように思います。

産経新聞の記事はさらにこう報じています。

 「山田さんらを交えた弁護団会議の結果、国賠訴訟を終結させる方針が決定したが、弁護団は『涙をのみ、断腸の思いで得た結論であり、苦渋の選択』としている」
 「甲山事件弁護団は解散するが、今後、書籍の発行などを通じ、
捜査側の実名を出すことなどによって、事件の真相を明らかにしていく活動を続けていきたいとしている」

 
真相を明らかにしたいのならば裁判を続けるべきです。止める理由はありません。書籍に一方的に実名を書いたところで、嫌がらせにはなっても真相の究明にはなりません。訴訟を取り下げるのは真相が明らかになっては困るからではないでしょうか。

 刑事訴訟の時でも、彼女らはとにかく
裁判をやめさせることに熱心でした。法廷外で、検察に対して、あらゆる手段を使ってプレッシャーをかけ、控訴を、上告を断念させようとしていました。今までも数多くの長期裁判、冤罪事件の裁判があり、被告人の人達は不屈の意志をもって無実を訴えつづけていましたが、山田さんほど「裁判の中止」を求めていた被告人はいなかったように思います。

 この訴訟は「違法な逮捕、拘置で肉体的、精神的に大きな苦痛を受けた」として
損害賠償と新聞への謝罪広告を求めて起こされたものですが、弁護団は、「・・・無罪確定で、身の潔白を証明するためだった訴訟本来の目的は果たせた」(3月4日読売新聞)と言っています。この訴訟も結局は検察に対する戦術、プレッシャーのひとつに過ぎなかったようです。

 刑事訴訟で有罪の立証責任は検察側にあり、被告人は無実を立証する必要はありませんが、民事訴訟となれば、原告と被告は全く対等です。国側の不法行為を立証する責任は原告側にあります。この立証は容易なことではないと思います。原告敗訴の可能性が高いと思います。刑事被告人にとって民事は刑事ほど甘くはないのです。敗訴となれば、彼女には疑わしい点があったことになり、せっかく「晴れて無罪(?)」になったのに、
一転して「灰色の無罪」になりかねません。刑事裁判において、彼女の無実が証明されている訳ではないのです。それらを考えて訴訟の取り下げを考えたのではないでしょうか。

 今回の記者会見にも
山田さん本人は姿を見せませんでした。彼女は今後、訴訟取り下げの理由とした、「日本の戦争責任を追及する活動」や「人間の尊厳が司法とともにある社会の実現に向けてのささやかな行動」をするでしょうか。多分何もしないと思います。ひたすら社会から忘れ去られることを目指すと思います。

平成12年3月4日   ご意見・ご感想は   こちらへ     トップへ戻る      目次へ

 (平成23年5月25日追記)
ウィキペディアで「甲山事件」を調べたら、こんな事が書いてありました。
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 被害者女児と被害者男児の両親は、「管理責任が欠けていたために子供を死亡させた」として社会福祉法人甲山福祉センターを相手取り、精神的苦痛を理由に合計3,367万円の損害賠償を請求した。この裁判では原告が勝訴し、社会法人福祉センターは被害者両親に合計1,133万円を支払うことになった。裁判中に甲山福祉センター側が「知的障害者死亡によって、両親は苦労を免れたため、精神的苦痛を理由とする損害賠償は筋違い」と主張したため、知的障害者を育成する立場にある者が知的障害者の生存を軽視した差別発言として人権派の間で問題視された。
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 「障害児が死亡したことにより、両親は苦痛を免れた」、つまり
死んで良かったと言っているのです。ずいぶんひどい福祉施設があったものだと驚きました。
C55 布川事件と甲山事件